ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(16)

メディチ・リッカルディ宮
12日目

ギャップ

 この旅行最後の朝を迎えた。SMN駅で荷物を預けると、まずサン・ロレンツォ聖堂の一角にあるメディチ家の礼拝堂に行く。サン・ロレンツォ聖堂はもともとメディチ家の菩提寺院であったが、後にトスカーナ大公となったメディチ家がここに礼拝堂を建てた。内部は黒っぽい大理石で覆われ、一見地味に見えるのだが、近づいて見れば見るほど、その装飾の豪華さに圧倒されてしまう。

 次いで、聖堂から目と鼻の先にあるメディチ・リッカルディ宮へ行く。ここは、フィレンツェが共和国であった時代にメディチ家の居所であった屋敷である。15世紀にコジモが実権を握った後も、フィレンツェは表向き共和国であり続け、メディチ家は「一市民」としての体裁を保っていた。この屋敷には、そうしたメディチ家の姿勢がよく表れている。地味な外観とは裏腹に、中に入ると巨大絵画に囲まれた部屋、金ぴかの集会室など、一般市民をはるかに凌駕する財力を見せつけられる。
 こうした外観と内装の「ギャップ」は、ドゥオーモなどを除けば、フィレンツェのあちこちに見られる、と私は思う。

 メディチ・リッカルディ宮からドゥオーモまでは、これまた目と鼻の先だ。前日は閉まっていた洗礼堂が開いていたので入る。八角形の天井には、金地にビザンチン風の絵画が描かれている。見上げながら、思わず息をのむ。

 ドゥオーモから北東に向かうとアカデミア美術館がある。だが、あまりの入場待ち行列に戦意喪失・・・。さらに進むとサン・マルコ教会がある。この教会自体にも多くの祭壇画があるのだが、これに隣接する修道院跡が美術館になっている。1階にはアンジェリコの『受胎告知』など優れたフレスコ画が展示され、かつての僧坊であった2階には、各部屋に壁画が描かれている。
 ここに来ると、浮世を離れた僧たちの精神生活を思わずにはいられない。だが面白いことに、この修道院がフィレンツェの中心であったことが一度だけある。15世紀末に修道院長となったサヴォナローラは、いったん追放されたメディチ家に代わってフィレンツェの実権を掌握したのである。
 しかし、あまりに「神聖な」政治をやり過ぎてしまったために人々の反感をかったサヴォナローラは処刑され、メディチ家は復帰する。復帰したメディチ家はもはや「一市民」に戻ることはなく、トスカーナ公・大公となってヴェッキオ宮やピッティ宮で暮らすようになった。

 サン・ロレンツォ聖堂の辺りまで戻って昼食。トスカーナ産の赤ワイン・キャンティに、ペペロンチーノとステーキだ。

 出発の時間が近づいてきたので、SMN駅前に移動し、目の前にある教会に行く。駅名の由来となったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だ。入口は何とも変わっていて、隣接するツーリストインフォメーションの内側奥にある。
 回廊のある庭園は、駅前の喧噪から壁一つ隔たっているだけなのが不思議なくらい静寂である。その一角にはも聳えている。回廊の脇に開かれた入口から教会内部に入ってみよう。
 中央にはが並び、壁は祭壇画ステンドグラスに満たされる。あまりに広いため、これらのアイテムが実際より小さく見えてしまう。
 ツーリストインフォメーションとは反対側の入口から外に出る。あれ?教会の本当の「正面」はこちらだったのだ。この、こじんまりした教会正面からは内部の巨大な空間や庭園のことは想像もつかない。

 SMN駅から道路一本隔てたバスターミナルから空港行きのバスに乗る。狭い道路をくねくね進み、15分ほどで空港に到着する。オンラインチェックインが進んでいるからか、カウンターに乗客は少ない。
 18時過ぎ、パリ行きの便で出発。トスカーナの平原、アペニン山脈を越えると、地中海が左手に見える。海面に映る夕日は、旅の終わりを私に告げていた。

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