ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(14)

バルセロナ行き列車(リャンサ駅).jpg
6日目
リャンサ→ジローナ

 朝、雨が降っていた。本当は早めに出発してバルセロナで観光する時間を増やしたかったのだが、この天気なら、行きたいところが少なくなる。それで遅めに出発することにした。幸いにして雨はやみ、悪路で傘をさすことなく歩ける。

 10時43分、バルセロナ・サンツ行きの列車で出発。一山越えてヴィラジュイガ、そして11時ちょうど、フィゲラスに停車。乗客が大きく入れ替わる。
 フィゲラスの郊外を南に進む。辺りは畑。すると右から線路が合流してきた。新幹線専用線だ。フランスのTGVと接続するRENFEの新幹線AVEは、ピレネー山脈を越えるとフィゲラスに停車するのだが、どういうわけか駅は街の西側にあり、在来線のそれとは異なる。そして、フィゲラス南郊のこの地点でついに在来線と合流する。合流したところで、ヴィラマーラに停車。11時5分。

 列車は以後も森や野原の広がる中を南に進み、各駅に停車する。11時22分、少し大きな町・フラサに停車。列車はここから南西へと向きを変える。しばらくすると、畑の中に町が見えてきた。11時31分、セルラに停車。駅前に城のような工場のような不思議な建物があり、高い煙突様の塔が2本建っている。今は市役所らしいが、きっと由緒ある建物なのだろう。

 ここから山道に入り、カーブが続く。テル川の渓谷を抜ける。やがて渓谷はその幅を広げ、ついには街となる。ジローナだ。大聖堂を左手に見て川を渡ると、ジローナに停車。11時39分。AVEも停車するこの駅でも、やはり乗客が大きく入れ替わる。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(13)

コリウール城(1).jpg
水城

 コリウールの駅前に出てみたものの、私はどこに行ったらよいかわからず、しばらく思案していた。なぜなら、この町のことは日本のガイドブックには書かれておらず(2017年時点)、何の情報も持ち合わせていなかったからだ。それなら、なぜこの駅に降りてみたかったのかと言えば、前日に列車でここを通った時、車窓に飛び込んできた入江とそれに面する立派な建物に思わず惹かれたからだ。
 いつまでも考えていても仕方ないので、とりあえず駅から続く一本道を通って坂を下りる。すると、わずか数分でコリウールの街に出る。想像以上に賑わっている街だ。時間的にもちょうどよいので、まずは昼食とする。メニューを見ると、ラッキーなことにブイヤベースがあるではないか!ここは「南仏」であったなあと納得しつつ、迷わずそれを注文、メインはお昼なのであまりがんばらずハンバーガーとする。お供はロゼ。

 すっかり満腹になってレストランを出た後、ふと見ると街のあちこちにある旗が立っていることに気が付く。黄色と赤の縞模様の旗、もちろんフランス国旗でもスペイン国旗でもないが、どこかで見覚えのある旗。しばらく考えて、それがカタルーニャの旗であることを思い出した。なぜここに?

 そんな疑問を抱えつつ、街を散策する。入江の北西側が特に賑わっているが、海辺から一歩中に入ると狭い路地になっていて、その両側には土産物店やギャラリーが多い。街外れには教会が建っていて、その先には岬(たぶん昔は島というか岩礁のようなところだったのだろう)が突き出ている。そこから突堤が突き出ているので、行ってみる。その突堤から振り返った街の姿に、思わず息を吞む。これは、前日車窓から見た景色をちょうど反対側から見たものだったからだ。入江の北西側の一角が凹んでいて、おそらくそこは港なのだろう。その港を挟むように2つの建物が建っている。一つは街外れの教会で、この塔が灯台の役割を果たしていたのだろう。そして、その反対側に聳えるのは大きな城だ。

 そうなると、次に行きたくなるのはその城だ。幸いなことに、コリウール城は観光地として開放されていたので、さっそく入る。城内の建物はよく保存されていて、内部の構造もけっこう複雑だ。
 今では個人用のクルーザーくらいしか停泊していないこの町に、なぜこんな立派な城が建っているのか?そして、カタルーニャの旗が立っているのはなぜか?その答えを探っていくと、意外な歴史に気が付く。ここコリウールを含む一帯はもともとカタルーニャの一部であり、1659年にフランス・スペイン間で結ばれたピレネー条約以前はスペイン領であった。さらに、このカタルーニャの北部においては、ペルピニャンに取って代わられる以前は、コリウールがその中心地であった。
 このことはさらに、別の疑問にも答えてくれる。ペルピニャンの北にある駅から、駅名表記にフランス語以外もう一つ加わっていることを私は既に見ていた。この表記はカタルーニャ語であったのだ。
 やがて、私は城の屋上に出る。そこからはコリウールのと、を一望することができる。

 海に面したこの美しい古都にすっかり満足することができたものの、私には一つ心残りがあった。それは天気だ。明るいパステルカラーの建物を輝かせる晴れ間が見たい・・・。天気の回復をしばらく待った。
 17時過ぎ、ようやく雲の隙間に青空が顔をのぞかせる。前日のような快晴の下ほどではないが、が華やいだ気がする。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(12)

セルベール行き列車(セルベール駅).jpg
フィゲラス→セルベール→コリウール

 フィゲラス駅に戻り、ポルト・ボウまでの切符を買おうとした私は、ポルト・ボウから1駅先、フランス側のセルベールまでの切符が買えることに気が付いた。そしてもう一つのこと、駅の電光掲示板で北方面への列車はすべてセルベール行きになっていることにも気づいた。そして、ここでようやくスペイン・フランス国境を越える列車の「約束事」を理解した。
 すなわち、フランス側から来た列車はすべてスペイン側のポルト・ボウ止まりとなるが、折り返しは回送となる。一方、スペイン側から来た列車もすべてフランス側のセルベール止まりとなるが、折り返しは回送となる。したがって、フランスからスペインに行く乗客は必ずポルト・ボウで乗り換え、スペインからフランスに行く乗客は必ずセルベールで乗り換えることになるのだ。これが、前日にポルト・ボウで浮かんだ疑問への解答である。

 11時29分、セルベール行きの列車が到着する。ここで多くの乗客が降りたため、車内はガラガラだ。
 列車はまっすぐに北東に向かってヴィラジュイガに停車。そしてなだらかな山地を越えてリャンサに停車する。明るい色の海岸通りを横目に見ながら北上し、2つのトンネル区間に挟まれた入江をさっと過ぎて短い鉄橋を渡るとコレラに停車。そして、短いトンネルを抜けると、早くもポルト・ボウに停車する。しかし、ここでは降りることはなく、そのまま乗り続ける。

 以前も書いた通り、スペインとフランスとでは線路幅が異なる。そのため、この国境を相互の列車が乗り入れているということは、両方の規格の線路がこの区間に並んでいるのだろう。さらには、ポルト・ボウを出たところでデッドセクションを通過する。様々なレベルで2つの規格が入り乱れているこの国境区間は、私の想像力を刺激せずにはいられない。
 そうこうしているうちに列車は国境のトンネルを越えて、セルベールに到着する。11時57分。

 ホームのすぐ近くに券売機があったポルト・ボウとは異なり、セルベールではいったん改札を出て駅の窓口で切符を買わねばならない・・・。切符を買うと、今度は別のホームに行く。そこにはアヴィニョン行きの列車が既に入線していた。

 列車は12時34分に発車。短いトンネルをいくつも抜け、明るい色の街を通ってバニュルス・シュール・メールに停車。次いでポール・ヴァンドルに停車すると、12時57分、コリウールに停車する。そして私は、ここで下車する。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(11)

ダリ劇場美術館(2).jpg
奇才

 フィゲラスの駅前から噴水のある公園を2つ通って西に少し歩き、ランブラ広場に出る。とても気持ちの良い眺めなので、このままずっと散歩したくなる。
 そんな時、なぜか直立せず斜めに立っている小さなモニュメントが見える。周りの地面に描かれた模様がモニュメントに映し出されるとそれは一つの顔になる。そうだ、私はこの人に会いに来たのだった。

 広場から少し北に歩くと、それは姿を現す。真っ赤な城壁?とその上に載った卵。おっと、ここは裏手だった。正面に回ると今度は卵の銅像?が立っている。しかし、これはダリ・ワールドのほんの入口に過ぎない。ダリが故郷に建てた美術館の中で、世界中から来た観光客と共に私も驚かされ、そして楽しむ。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(10)

バルセロナ行き列車(リャンサ駅).jpg
5日目
リャンサ→フィゲラス

 朝、部屋を出てフロント館に行き朝食。そしてそのまま出かけてリャンサ駅へ。
 8時42分に到着予定のバルセロナ行き列車は、数分遅れで到着。これに乗る。
 列車はなだらかな山地を越えてヴィラジュイガに停車。ここからは平地となり、真っ直ぐ南西に向かう。
 やがて市街地に入ると大きく左カーブしてフィゲラスに停車。8時57分。到着時刻は予定通りだ。私はここで降りる。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(9)

バルセロナ行き列車(ポルト・ボウ駅).jpg
ポルト・ボウ→リャンサ

 ホームに降り立ったはいいものの、このホームは1面1線で、次に乗るべき列車は見えない。ホームの壁にはいくつものドアが並んでいるのだが、その中はホームに沿って細長い通路になっており、待合室が点在している。下車してくる数少ない乗客を受け入れるにはあまりに広い。待合室を挟んで東側のドアを出るとSNCF(フランス国鉄)のホームであり、西側のドアを出るとRENFE(スペイン国鉄)のホームだ。
 待合室の傍らに切符の自動券売機があり、時刻表も貼りだされている。だが、時刻表はRENFEのものしかなく、自動券売機もRENFEの切符しか売っていない。私はポルト・ボウまでの切符しか持っていないから、ここでRENFE区間の切符を買う。今の私にはそれで十分用は足りるのだが、ここからフランス側に行くにはどうすれば良いのだろうか?この疑問が氷解するのは翌日のことだった。

 西側のドアを出てRENFE側の駅に入ると、そこには大きな屋根に覆われた3面の広いホームが現れる。
 どうせなら、こちらのホームにSNCFの列車が乗り入れてくれるとありがたい気もするが、そうならないのは、乗客の越境管理(SNCFホームには到着する列車を待ち構える警官の姿があった)や駅舎の管理といった問題以前に、線路の幅が違うという根本問題があるからだろう。ポルト・ボウに乗り入れたSNCFの線路は1435mm(標準軌)であるのに対し、RENFEの線路幅は1668mmという独自規格なのである。

 バルセロナ行きの列車は、通路・待合室直結の1番線ではなく、6番線に入線する。14時33分、バルセロナ行き列車が発車する。すぐに短いトンネルを抜けると、小さな入江が現れる。14時37分、コレラに停車。
 谷川に架かる鉄橋を渡り、また短いトンネルを抜けると、またまた入江が現れる。そしてまたまたトンネル。抜けると、風光明媚な海岸通りが一瞬だけ現れるが、すぐに内陸に入りかけたところでリャンサに停車。14時42分。私はここで下車する。

 ホームは2面3線あって広いが、駅前には駐車場以外に特に目立つものもないこの駅に降りた訳は、たまたまこの町の宿が空いていたからという理由しかない。駅から町まで歩くのはさほど遠くないものの、歩道がほとんどなく、とりわけキャリーバッグを引きずる身にはつらい。また、古い町なのだろう、道が入り組んでいて、初めての人間にはちょっとした迷路だ。宿の場所を見つけるのに一苦労だった・・・(もっともこうした「迷路」こそ魅力でもあるのだが。)

 宿は通常のホテルではなく、ゲストハウスのようなところで、フロントや食堂のある建物ではなく、その近所の「離れ」のような場所だった。おそらく夏のバカンスシーズンに長期滞在するような場所なのであろう。
 夏にはまだ早かった(5月)が、海岸に行ってみた。もちろん泳ぎたかったわけではなく、こんな場所ならコインランドリーがあるのではないかと探しに行ったのだ。確かにビーチや港はあった。しかし、オフシーズンで多くの店が閉まっており、コインランドリーもなかった・・・。部屋に帰って、久しぶりにセルフサービスで洗濯する。
 夕食は、他の宿泊客が少なかったせいだろう、宿の食堂ではなく、近所のレストランを指定された。サラダ、スパゲッティ、サーモンのムニエルというどちらかというとイタリアンな感じの料理だったがとても美味しかった。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(8)

ポルト・ボウ行き列車(ポルト・ボウ駅).jpg
ペルピニャン→ポルト・ボウ

 ペルピニャンでは7分停車した後、12時44分に発車する。すぐにいくつもの線路が右へと分岐してゆく。これらにはピレネー山中へ向かうローカル線も含まれているが、何と言ってもTGV専用線がそのメインである。しばらくその存在を忘れていたが、ニームの手前で合流して以来、スペインへと向かうTGVと同じ線路を走っていたのだ。しかし、後述するようにこの先はカーブが連続するようになるから、さすがにTGVの高速運転には向かないのであろう。
 列車は早くも郊外に出る。オレンジ色の屋根を戴く家屋が続くきれいな田園風景だ。12時53分、郊外の町・エルヌに停車。列車は南西へと向きを変える。さらに田園風景が続き、馬が放牧されている牧場も見える。12時58分、アルジュレ・シュル・メールに停車。街中の塔が印象的だ。

 さらに南西へ。そしてついに海が姿を現す。短いトンネルを抜けた先に駅。13時3分、コリウールに停車。ここでも3分停車した後、13時6分に発車。その直後、景色が急に開ける。入江、それに面したオレンジ色の街、その中心には城。「もっと見たい」と思った瞬間、無情にもトンネルに入る。トンネルを抜けて大きく左カーブすると駅。13時8分、ポール・ヴァンドルに停車。ここも大きな入江だが、「ポール(Port)」の名の通り、近代的な港に整備されている。

 山が海に迫ってきた。トンネルとカーブが連続する。13時14分、バニュルス・シュール・メールに停車。トンネルの合間に、小さな入江が姿を見せる。短いトンネルを抜けた後で左手に港町が姿を現すと、右手では構内線がばっと広がる。13時22分、セルベールに停車。フランス側の最後の駅だ。

 セルベールを発車してすぐにトンネルに入っても列車は徐行したままだ。4時間近い旅の名残を惜しむかのように。
 トンネルを抜けたら、国境を越えていた。左手に見える港町はポルト・ボウ。同じ"Port"でも、ここでは「ポルト」と読む(正確には"Porto"だが)。そして右手では構内線がばっと広がる。13時25分、列車が駅に到着する。ずっと座りっぱなしだったので、少しフラフラしながらホームに降り立つ。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(7)

ナルボンヌ→ポール・ラ・ヌヴェール.jpg
モンペリエ→ペルピニャン

 モンペリエでは大勢の乗客が降り、そして大勢乗って来る。7分停車後、10時50分に発車。郊外に出て南西へと進路を変えると、しばらくして水辺の景色となる。地図上では「〇〇 étang」と書かれていて、日本語では「池」と訳されるが、ここのétangは細い洲によってわずかに海と隔てられている存在なので、本当は「潟」と理解した方が良いかもしれない。
 そうした「池」の脇を抜けて、11時ちょうどにフロンティニャンに停車。ここから線路は「池」と海の間の洲を通るので、ようやくが見える。大きな港町に入り、港に向けて構内線が広がってゆく。11時7分、セートに停車。ここはトーという大きな「池」と海とをつなぐ水路上の港町のようだ。大勢の乗客がここで降りる。

 発車すると、洲としては珍しく丘が現れ、そこにはきれいな家々が立ち並ぶ。洲は、そしてまた平坦で細長いものとなる。洲を渡り終え、列車は西へと進路を変えて内陸へ。川沿いの美しい街に入る。11時20分、アグドに停車。さらに西に進み、丘陵や畑の中をしばらく進む。また大きな町が現れる。北からやって来た線路が、右手に合流する。11時33分、ベジエに停車。ここでも大勢の乗客が下車する。また南西へと向きを変え、丘陵や畑の中を進み、細い無数の水路を渡る。そして、またまた大きな町が現れる。11時47分、ナルボンヌに停車。もちろん、大勢の乗客が下車する。

 ナルボンヌには9分停車して、11時56分に発車する。大聖堂の見える美しい街並みを横切ると、左右に大きく分岐する。右手に進めば西方のトゥールーズやボルドーに至る。この列車は左に分岐して南に向かう。郊外に出てしばらく水路や緑地のある風景の中を抜けると、再び海と隔てられた大きな「池」が現れる。列車は、いくつもの「池」の間に細く渡された洲の上を走る。渡り終えると、ポール・ラ・ヌヴェールに停車。12時8分。
 やっと渡り終えたかと思いきや、すぐにまた次の「池」を渡る。12時15分、ルカート・ラ・フランキに停車。またまた大きな「池」が現れるが、その岸辺を走るだけで、もう渡ることはない。
 前方には遠くに冠雪した山が見える。ピレネー山脈であろうか?「池」とはとうとう離れてしまい、平坦な土地が続く。12時24分、サルスに停車。ここから、駅名表示にフランス語の名前ともう一つの名前が出るようになった。もう一つの駅名はカタルーニャ語で書かれている。これについては、後の記事で書こうと思うので、ここではとりあえずおいておく。
 列車はさらに南に進んでアグリー川を渡ると、小さいがきれいな街リヴェルサルトに停車。12時32分。そして、列車は次第に大きな市街地に飲み込まれるとテ川を渡ってペルピニャンに停車する。12時37分。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(6)

ポルト・ボウ行き列車(アヴィニョン中央駅).jpg
4日目
アヴィニョン→モンペリエ

 早くもフランスを後にする日となった。今日の旅は長いから昼食を食べられないことを考慮して、朝食はしっかり取る。アヴィニョン中央駅に行き、列車を待つ。9時20分過ぎ、列車が入線する。3両編成の電動車であり、それほど特筆すべきことはない。だが、「Portbou」(ポルト・ボウ)と書かれた行先表示を見て思わず胸が高鳴る。なぜなら、それは既にフランス語の地名ではないからだ。

 9時38分、列車が発車する。構内線の網の目を潜り抜けながら左に大きくカーブしてTGV専用線と交差し、デュランス川を渡る。そしてスピードを上げて南に進む。やがて前々回の記事でふれたT字路に差し掛かると、右に分岐する。もし、ここを直進したらマルセイユ方面へと向かうことになる。
 徐行した列車は、右カーブの先にあるタラスコンのホームに停車。9時48分。反対側のホームは、マルセイユ方面から来た線路から左に分岐した先にある。だから、この駅は西から東にかけて広がった形をしている。
 マルセイユ方面から来た線路と合流を果たすと、ローヌ川を渡り、西へと進んでスピードを上げる。

 しばらくすると、右側から線路が合流してくる。TGV専用線だ。さらにしばらく進むと車両基地などの広い構内線を潜り抜け、大きな市街地に入ってスピードを落とす。10時5分、ニームに停車。ニームという町の名前を知らなくとも、「デ・ニーム」(ニーム産の)と名付けられた、ジーンズなどに使われる生地の名前なら多くの人が知っているであろう。大勢の乗客が降りていく。

 10時10分に発車。ニームの町を南西に抜けると、次第に辺りは畑の点在する郊外の景色に変わる。ヴェルジェーズ(10時19分)、リュネル(10時26分)、バイヤルグ(10時34分)と停車していく。
 やがて川を渡って大きな市街地に入ると列車はスピードを落とし、そして短いトンネルを抜けたところでモンペリエに停車。10時43分。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第15弾(マルセイユ→バルセロナ)(5)

宮殿(1).jpg
捕囚

 予約していたホテルはのすぐそばだった。さすがに午前中だから、荷物さえ預かってもらえればいいと思っていたが、行ってみると運よく部屋が空いたとのことでチェックインすることができた。しばらく休憩して出発。

 駅の北側を走る幹線道路を渡ると、いきなり城門が待ち構えていた。そして、城門の左右には見事な城壁が連なる。ここでまず「えっ!」と思った。
 城壁の中の街のメインストリートの沿道には、豪勢な外観のホテルオペラ座が立ち並ぶ。何だか頭が混乱してきた。こういう街並みを見るのはもちろん好きだ。だが一方で、「こんなはずはない」という思いがムクムクと湧いてもくるのである。

 通りはやがて、広場に至る。そこで目の前に聳える何かを見たとき、「嘘だろ!」と私は心で叫んでしまった。広場に面して建つその巨大な宮殿は、「囚われて」いたはずのローマ教皇の住まいだったのだから。

 時は14世紀、ローマ教会とフランス王の対立の中でローマ教皇がその居所をアヴィニョンに移してしまった。これを「教皇のバビロン捕囚」という。

 と、私は高校の世界史で習った。当時の私は単にこの1行の説明を覚えただけで、アヴィニョンがどんなところか、そもそもどこにあるのかすら全く知らなかった。ましてや「教皇のバビロン捕囚」という言葉自体が、フランス寄りのアヴィニョン教皇に対する批判側からの揶揄であったこと、などは知るよしもなかった。その結果、「バビロン捕囚」の意味を真に受けてしまい、「アヴィニョンの教皇は囚われの身同然のみじめな暮らしをしていた」と長年勝手に思い込んでいたのである。

 感動と違和感が激しく入り混じったまま、法王庁宮殿の中庭に入る。中庭は巨大な回廊に囲まれている。
 建物の中に入る。広いホール礼拝堂彫刻とフレスコ画が次々と現れる。教皇がローマに戻って以降も何度も改築が行われ、またフランス革命の混乱もあって、残念ながら豪華な内装は残っていないが、そのことでかえって建物や壁面そのものの造形美が強調されるように思う。
 極めつけは、地下室だった。その奥まったところの床から光が漏れている。近づいてみると、床石がめくり上げられている。この床下には、教皇の秘密の金庫があったそうだ。「アハハハハ・・・」囚われていたのは私だった。目に見えない思い込みの鎖が、氷のように跡形もなく溶けてゆく。

 屋上のテラスに上がる。ここからは宮殿の高さと威容を改めて確認できるし、アヴィニョンの街並みの眺めも素晴らしい。

 多くの美術館・博物館と同様ここも出口付近にショップがある。ここにはシャトーヌフ・デュ・パプという地区のワインが売られていた。「パプ」とは教皇のことであり、ここのブドウ畑はアヴィニョン教皇領だった。つまり、かつて教皇に献上されたワインということだ。買うかどうか大いに迷ったが、値段も高めではあり、この後の街歩きのことも考え、後回しにしようと出口を出てしまった。ところが、ここは出口からショップに入ることはできない構造だということに、外に出てからはじめて気づいたのである・・・。

 宮殿の裏手は狭い通りで、そのせいで高く聳える宮殿の壁がいっそう見るものを圧迫してくる。そして、出口が裏手にある施設の場合はたいていそうなのだが、自分のいる位置がどこなのだか見失ってしまうのだ・・・。その時、観光客向けのミニトラムが通り過ぎる。あれについて行けばメジャーな場所に出られるだろうと考えて、ついて行く。そして予想通り、広場に通じる通りへと出ることができた。

 南仏はラベンダーの産地である。沿道に点在する土産物店に立ち寄りながら、気が付くとラベンダーのお土産をいろいろ買っていた。そして街の北側、ローヌ川に面する城門に至る。門の外にはまた幹線道路が走っている。門から右側を眺めると、城壁につながった橋が見える。「アヴィニョンの橋で踊ろよ」で知られるあの橋、サン・ベネゼ橋である。橋に登るには入場料が必要だ。
 登ってみると、意外と幅は狭い。そして途中で行き止まりになっていて、対岸に渡ることができない。(行き止まり地点から振り返ると写真のような景色になる。)橋としては超芸術トマソン状態とも言えるが、観光地としてしっかりお金を稼いでおり、ちゃんと修復もされる(なぜ対岸とつなげる修復がなされないのか?)というなかなか稀有な存在の橋である。橋から眺めるローヌ川は、とてもゆったりと流れている。

 また街に戻り、昼食。前菜は野菜のタルト(スパニッシュオムレツをパイ生地で包んだ感じ)、メインはほうれん草のラザニア、ワインはプロヴァンスの白だ。

 法王庁宮殿北側のプティ・パレ美術館へ。場所が場所だけに宗教画のコレクション、それもイタリア製が多い。しかし、ここに来る前にイタリアで同じような絵画をたくさん見てしまったせいで、あまり心動かされるものはなかった。

 法王庁宮殿の側を通りがかった時、またワインのことが気にかかりだした。しばらく迷った末、意を決して入口に向かう。チケット売り場で「ショップに行きたい」と伝えると、ショートカットで(もちろん他のエリアに行けないように)ショップに通してもらった。結局"La Fiole du Pape"という赤ワインをアウトレット価格(通常の1/4くらい)で購入。

 さらに通りを南に進んで、カルヴェ美術館へ行く。本来2階建てなのだが、残念ながらこの時は2階が工事中で入れず、その代わり入場料が半額であった。それでも、彫刻・エジプト出土品・古典絵画・フランドル絵画などコレクションはバラエティーに富んでいて、良い作品も多かった。

 ホテルに戻ると、疲れ切ってそのまま寝てしまった。まだ行ってみたいところもあったのだが・・・。

続く
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