ヨーロッパ横断鉄道旅行-第1弾(イスタンブール→アテネ)(2)

ドルマバフチェ宮殿正面
2日目

ドルマバフチェ宮殿

 朝、スィルケジ駅前からイスタンブールの新しい路面電車・トラムヴァイに乗る。トラムヴァイに乗るには、他の市内交通と同様に、購入したジェトンを改札機に投入するだけである。列車は北上してガラタ橋を渡り、新市街に入る。そしてボスフォラス海峡に沿って北東に進むと、終点のカバタシュに到着する。
 カバタシュ駅から海岸に沿ってさらに北東に歩く。この辺りからもボスフォラス海峡を巡る観光船が数多く出ている。海岸を行き交う大勢の観光客に混じって、警官隊の姿が目に付く。一方で赤いユニフォームのようなものを着た一群の人々が続々とバスで到着しているのが見える。しばらくすると、気分を高揚させるような勇ましい歌が流れてきた。道路の反対側にふと目をやると、あの赤い服を着た人々が同じく赤い幟を立てて陣取っているではないか。そして、赤い幟は彼らの背後にある丘の上までずらりと並んでいるのである。そう言えば、この日はメーデーであった。おそらく労働組合の集会があるのだろう。

 そうこうしているうちに、いつの間にか私は巨大な門の前に立っていた。ここがドルマバフチェ宮殿の入口である。ドルマバフチェ宮殿は、19世紀半ばにオスマン・トルコのスルタンの居城として建てられた。トプカプ宮殿の後釜である。そしてトルコ革命後は、初代大統領ケマル・アタテュルクの官邸となった。
 入口の門をくぐり中庭を抜けると、これまた大きな宮殿の建物が聳えている。見るからにヨーロッパ風の建物で、知らなければオスマン朝の宮殿とはわからないだろう。宮殿の中に入ると、しかし個々人が自由に見学することはできない。個人旅行者は玄関で待たされ、ある程度の人数が集まったところで専属ガイドによる各国語の館内ツアーが始まるのだ。やはり英語のツアーに続々と人が集まっていたから、とりあえずそれに参加する。

 トプカプ宮殿がトルコ的に贅を尽くした建物であるならば、ドルマバフチェ宮殿はヨーロッパ的に贅を尽くした建物である。巨大なシャンデリア、壁や天井の豪華絢爛な装飾に皆が息を呑む。宮殿はたった2階建てだが、南北に細長く、南側の玄関からの奥行きがとてつもなく長い。建物の南半分はセラムルクと呼ばれる女子禁制の政務の場であり、北半分は男子禁制のハレムである。ハレムはやはり部屋数が多く、迷路のようになってはいるが、トプカプのハレムのような陰惨さはない。それは、窓が多いという単純な理由によるのかもしれない。
 ツアーの最後に1・2階が吹き抜けになっている儀式の間に行く。巨大な柱が何本も並び、天井からは巨大なシャンデリアが吊り下げられている。人々は驚嘆の思いを抱いたままツアーを終え、外に出る

 宮殿を出た所に、ボスフォラス海峡に面した船着場がある。スルタン達はここから船に乗ってボスフォラスの船旅を楽しんだのだろうか?外に出て、宮殿の周囲をぐるりと廻る。庭の一角で、どういうわけか孔雀が放し飼いになっている。王者の庭にふさわしい光景なのかもしれない。

 ドルマバフチェ宮殿を後にして、カバタシュ駅に行く。今度はトラムヴァイではなく、丘の上にあるタクスィム広場へ行く地下ケーブルに乗るためだ。しかし、ここで思わぬ事態に遭遇する。何と地下ケーブルが運休していたのだ・・・。ここで運休の理由や背景まで把握できれば良かったのだが、それができないまま、私は迂回してタクスィム広場に行くことを考える。
 カバタシュ駅からトラムヴァイに乗り、ガラタ橋北側のカラキョイで下車する。そしてテュネル乗り場を探す。テュネルに乗ってテュネル駅、そこから路面電車に乗ってタクスィム広場に行くことを考えたのだ。
 カラキョイ駅のあるガラタ地区はイスタンブールの新市街に位置しているが、その歴史は古く、ビザンチン帝国の時代にはジェノバ商人の居住区だった。今では小さな住宅や商店が建ち並ぶ入り組んだ路地があるかと思えば、風格あるどっしりとした建物が並んでいたりもする。これらの建物には、主に銀行などの金融機関が入っている。
 そのような土地柄のおかげか、実は朝から探していた両替ショップを見つけることができた。というのは、この日は銀行が皆閉まっており、不足していたトルコリラを入手できなかったからだ。
 だが、肝心のテュネル乗り場が見つからない。同じような場所を何度か歩いて、実はテュネルも運休していて乗り場が閉まっているということにようやく気付いたのだった・・・。ならば残るはタクシーだ。と、タクシーに乗りこんだところで、私はメーデーのデモにより、タクスィム広場周辺の道路・公共交通が全て閉鎖・運休していることを聞かされる・・・。

 作戦変更を余儀なくされた私は、とりあえず腹ごしらえのために路地裏の食堂に入り、トルコ名物のドネル・ケバブを食べる。食堂のテレビではデモの様子が大きく報じられている。広場を埋め尽くす大群衆がシュプレヒコールを叫ぶ。これでは周辺が閉鎖されるのももっともな話だ。
 日本においてメーデーはあまり大きなイベントではない。だから私もドルマバフチェ宮殿前のデモ隊を見ておきながら、その規模と影響を見誤ったのだった。トルコはEUに未加盟ではあるが(2010年現在)、ヨーロッパから受ける影響は大きい。メーデーのイベントがヨーロッパ並みに本格的なものであるのは当然なのかもしれない。

 私は気を取り直して、カラキョイからトラムヴァイに乗り、ガラタ橋を南へと向かった。

続く
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