シルクロード鉄道旅行-第8弾(ブハラ→テヘラン)(9)

大キズ・カラ(1)
4日目

メルヴ

 朝、少し眠そうなNさんに会った。話を聞いて、びっくりした。前夜遅く、地元の入国管理官が突然やって来たのだ。Nさんの尽力により、私が寝込みを襲われることだけは防げたらしい・・・。マリーのような地方都市ではたまに起こることだそうだ。

 私達はマリーのホテルを出発して、東へ向かう。40分ほどして、小さな町に到着する。そこにはバザールがあって、たくさんの車が停まっている。バザールから道路を挟んで反対側に、メルヴ遺跡のモニュメントがある。ここが遺跡の入口なのだ。
 メルヴは、紀元前6世紀から18世紀まで実に2000年以上にわたる遺跡であり、現在では世界遺産にもなっている。バザール付近は新メルヴと呼ばれ、15世紀から18世紀に町があった場所だ。
 入口から田舎道を数km進んで、ようやく旧メルヴと呼ばれる紀元前6世紀から12世紀の遺跡にたどり着く。メルヴの最大の特徴は、古い町の跡に新しい町が建設されるのではなく、古い町の脇に新しい町が建設されることだ。このため、遺跡の面積はやたらに広い。車を利用しなければ、移動も困難である。

 旧メルヴに入って最初に目にするのがスルタン・カラだ。11世紀から12世紀にかけて中央アジアからトルコに至る広大な領土を支配したセルジューク朝の都だった場所である。今でもしっかりと残った城壁の跡が南北に伸びる広大な敷地を取り囲んでいるが、建物のほとんどは消え去り、かつての大都市の跡では羊達が草を食んでいる
 残された数少ない建物の一つがスルタン・サンジャール廟だ。最盛期のセルジューク朝の君主・サンジャールが眠る大きな廟(高さは38メートルにもなる)は、近年トルコ政府の援助により修復が進み、かつてのセルジューク朝の栄光を偲ばせる。

 スルタン・カラの城壁のすぐ西側にあるのがキズ・カラと呼ばれる大小二つの城塞である。6世紀から7世紀頃に建てられたと言われているが、詳しいことはわかっていない。2つとも頑丈なレンガでできており、長年の風雨によく耐えている。それでも、今や小キズ・カラわずかな壁狭い通路を残すのみだが、大キズ・カラはその特徴的な外壁(今では鳥の巣になっている)をよく残しており、メルヴの中でも人気のスポットになっている。

 スルタン・カラのすぐ東に隣接しているのが、古代のメルヴ、ギャウル・カラである。両者の城壁は細い道路を挟んで並んでおり、まさに隣接という言い方がぴったりだ。
 ギャウル・カラは、紀元前3世紀から3世紀の遺跡で、当時はパルティアの支配下にあった。紀元前53年にパルティアとの戦闘で捕虜となった1万人のローマ兵が配流されたのは、当時パルティアの北東の辺境であったこの地である。
 ギャウル・カラでは仏塔や僧院跡などが発掘されてはいるが(ゆえに最西端の仏教遺跡とも呼ばれている)、建物はほとんど残っておらず、今ではラクダの放牧地となっている。

 ギャウル・カラの北側にあるのがエルク・カラだ。紀元前6世紀頃の遺跡で、メルヴの中では最古のものだ。小高い丘になっており、登るのが大変だ。今では、数頭のが放たれている他は何も残っておらず、まるで火山のカルデラのように見える。沈み行く夕日を見るためにここへ登る観光客も多いそうだ。

 マリーに戻っても、夕方までは時間があったので、地元の博物館に行く。かつてのキャラバン・サライ(隊商のための宿舎)であった建物自体は興味深いものであったが、建て付けの悪い展示室のドアをようやくこじ開けたものの、展示品が少なくてがっかりした・・・。

 夕食には大きなマントウ(小麦粉の皮の中に肉などを詰めたワンタンのようなもの)を食べる。ウズベキスタンでも食べたもので、ヨーグルトをつける(意外とおいしい)という食べ方もウズベキスタンと同様である。

続く
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