ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(5)

大運河(3)
4日目

ここでは死なない

 朝、ホテルをチェックアウトして出発。荷物があるので、ホテルの前を通る路線バスでヴェネツィア本島のローマ広場まで行こうと試みたが、通勤時間帯のゆえか非常に混雑しているので、断念。結局メストレ駅まで歩き、サンタ・ルチア行きの列車に乗る。

 サンタ・ルチア駅からはLine1のヴァポレットに乗り、大運河を行く。リアルト橋に別れを告げ、サン・トーマで下船。サン・トーマ広場からさらに奥に進むと、大きな教会が現れる。サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会だ。中に入ると、ティツィアーノをはじめとした巨匠達の描いた巨大な祭壇画に圧倒される。その隣にあるのは、スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコという信者会だが、ここも壁といい天井といい巨大な絵で満たされている。小さな鏡がいくつも置いてあり、それで天井の絵を眺めることができるのだ。

 サン・トーマの船着場に戻ってLine1に乗り、サン・マルコ広場に向かう。当面来ることのない大運河の風景を心に刻みながら。
 サン・マルコ広場は今まで見たことがないくらい、人でごった返す。落ち着いた気持ちでこの広場に別れを惜しむことはできそうにない。すぐさまLine1に乗って出発する。

 船は南東に突き出たヴェネツィア本島の岸に沿って進む。大運河を通っていた時とはうって変わって、風も波も一気に強くなる。名高いビエンナーレが開かれる庭園の前を過ぎると、ついに本島を離れて海峡に差し掛かる。風と波はさらに強くなる。やがて、対岸の街が現れる。こうしてリド島に到着する。

 リド島はリゾート地であるから、海水浴やイベントもない今の時期は人気も少なく、静かだ。南北に細長い島なので、あっという間に島の反対側(つまり外海側)に出てしまう。浜辺に下りる道は無数にあるが、そもそも海水浴場には興味がないし、行ってみたところで、白いタキシードを着たおじさんを見かけることもないだろう。
 他に見どころのない島ではあるが、やはり飲食店は多い。ここで昼食を取る。

 帰りは、Line5.1というサン・マルコ広場を経由しない路線に乗ってみた。これはヴェネツィア本島の北岸を経由する路線で、予想通り乗客は少なく、波風が少々強いことさえ我慢できれば、楽しい船旅である。船は海峡を渡ると、ヴェネツィア本島の北岸に沿って進み、サン・ピエトロ島やアルセナーレ(造船所)の北側を通る。
 船はやがてカナレジオ運河に入り、そして再び大運河に合流して、サンタ・ルチア駅前に到着する。

 とても名残惜しい。ここで死んでもいいという人の気持ちもよくわかる。だが、私には見たいこと、知りたいことがまだまだたくさんあるのだ。先に進もう。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(4)

ラジョーネ宮(1)
3日目

まさか!

 この日はいったんヴェネツィアを離れてみる。8時32分、トリノ行きのFB9710でメストレを出発。この辺りは複々線化されていて、列車は特急専用レーンを猛スピードで駆け抜ける。8時48分、次の駅パドヴァに停車。私はここで下車する。わずかな時間だが特急を使ったのは、混雑を避け、ゆったりと鉄道を楽しみたかったからだ。

 ミラノ・ヴェネツィアを結ぶ東西の路線とローマからフィレンツェ・ボローニャを経由してきた南北の線が合流するパドヴァの駅舎を出て、南に歩く。ほどなくして運河を渡ると、中世都市、後にヴェネツィアの植民地となったパドヴァの旧市街になる。
 運河のすぐ南にあるアレーナ庭園の一角にあるのが市立博物館、そして「隣接する」スクヴェローニ礼拝堂である。私は礼拝堂を彩るジョットの壁画を見るために、入場時間が決められた礼拝堂のチケットを事前に予約していた。チケットと、これも予約していたパドヴァカード(市内交通乗り放題+市内見どころが無料または優待)を市立博物館で受け取る。この時私は、今までの経験から、礼拝堂と博物館が文字通り「隣接する」と思っていたようだ。

 礼拝堂の入場時間まで時間があるので、まずは博物館を見学。地元で発掘された土器・彫像、宗教画を中心とした絵画コレクション、そしてなぜかこんなところにもある古代エジプトのコレクションまで、意外に見ごたえのあるコレクションにすっかり満足する。
 礼拝堂の見学時間が近づいた。「スクヴェローニ」の案内板に従って地下に下りると、そこにはジョットの壁画を映し出した大きなモニタがある。奥に入ると、それらしい陳列スペースがある。もちろん、教会がこのような陳列スペースに収まるわけがなく、私はこの奥に本物の入口があるのだと思っていた。あの密閉されたような空間には、地下から行くのがふさわしような気もしていた。
 だが入口はなく、行き止まりだ。違う!慌てて階段を上り下りして館内を探すが、それらしき入口はない。外だ!と気づいた時は、既に20分以上彷徨した後だった。外に出ると、道端に礼拝堂の方向を示した小さな標識(本当にこのようなものだったか記憶が疑わしい)を見つけた気がする。その方向に教会があった。半ば呆然としたまま行ってみる。確かにここがスクヴェローニ礼拝堂であったが、指定の時間が過ぎていたため入ることはできなかった・・・。
 「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして"まさか"だ。」と言った人が昔いた。こんな平坦な道に「まさか」は潜んでいたのである。

 すっかり意気消沈してしまった。昼時でもあるし、町の中心に行こうとバスを待つ。ところが、いくら待ってもバスは来ない・・・。良くないことは続くものである。もうどこに行くあてもなく、何となく南に歩き始める。19世紀からあるというカフェ・ペドロッキの前を通り、案内板に導かれるままに道を右に折れると、ラジョーネ宮というかつての裁判所に行き着く。
 パドヴァカードがあれば見学は無料と思いきや、特別展をやっているという理由で追加料金が必要だった。特別展は、建築関係ということしか理解できなかったが、壁一面の絵画やなぜここに置かれているかわからない巨大な木馬を眺めていると、先ほどから沈んでいた気分も少し落ち着いてきた。
 人気の少ないテラスから下を眺める。すると、柵で囲われた道路を懸命に走っている人々がいる。何とマラソン大会が開かれていたのである。バスが走っていない理由もわかった。

 さらに面白い何かを求めて、南に歩く。中世から続くポルティコ(柱廊)の街並みを、マラソン人が通り過ぎる。彼らの脳内と同じように体内麻薬でも出ていたのであろうか、私は疲れも知らずに歩き続ける。

 たどり着いたのは、サンタントニオ聖堂というスクヴェローニに比べるとずっと大きな教会であった。青を基調に彩られた天井と極彩色の壁画が、見る者を非日常の世界に誘う。イタリアでも屈指の巡礼地らしく、熱心に祈る人々の姿が後を絶たない。聖堂付属の博物館がちょうど昼休みで閉まっているので、私も昼食へ。門前町にはレストランも多い。昼食後に博物館に行く。ここでもパドヴァカード+追加料金が必要である。カードの存在意義はいよいよ疑わしい。

 マラソンはほぼ終息したものの、まだバスは動いていないから、結局サンタントニオ聖堂からパドヴァ駅まで歩くはめになった。そして駅に着く間際になって、ようやくバスが再開する。この日の私にとって、パドヴァカードはほぼ無用の長物であった・・・。

 16時2分、トリエステ行きIC588に乗る。様々な教訓を胸に、パドヴァを去る。16時19分、メストレに到着

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(3)

リアルト橋
春の夜の夢

 時刻は18時過ぎ。4月の終わりとはいえ、日本より高緯度のこの地域は、まだ日没にはほど遠い。実は夜にはザッカリア近辺に用があるのだが、それまでには時間が余る。そこで思いついたのは、ヴァポレットで本島の内側をぐるりと回る計画だ。
 まずはLine2に乗って出発サン・マルコ広場を真正面に仰いでジューデッカ運河を進む。やはり夕方に帰る日帰り客が多いからだろうか、各停留所での乗り降りに相当時間がかかり、ローマ広場に着いた時には19時になっていた。当初はローマ広場近辺で夕食を企んでいたのだが、大運河の混雑も考慮すると、それどころではなくなった。すぐにLine1に乗り換える。

 サンタ・ルチア駅真正面のサン・シモーヌ・ピッコロ教会を皮切りに、運河沿いの美しい建築が次々と現れては消える。自然史博物館カ・ペーザロ、カ・ドーロ、そしてリアルト橋を越える。橋の傍のレストラン街は夜の営業を始めたようだ。川岸の建物にも灯が点る。ヴァポレットはいつの間にかアカデミアまで来ていた。外壁に描かれた絵が美しいダ・ムーラ・モロシーニ宮を過ぎると、もうサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前だ。そして、プンタ・デッラ・ドガーナを過ぎると再びサン・マルコ広場が現れ、ヴァポレットはザッカリアに停まる。時刻はもう20時になっている。

 ザッカリア停留所のすぐそばにあるサンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会に行く。このこぢんまりした教会が、今夜のコンサート会場である。
 20時30分、コンサートがスタート。ヴァイオリン6台+チェンバロという弦楽団。いくつかの短い曲の後、ヴェネツィア楽派を代表する作曲家・ヴィヴァルディの『四季』をフルで演奏する。弦楽器の美しい調べが壁によく反響して、私の体にも響く。コンサートは約1時間で終了。固いイスに座っていたので、お尻が痛い・・・。

 外は既に真っ暗になっていた。潮が満ちてきて、河岸の一部が既に冠水している・・・。帰りもLine1に乗る。この時間に帰る人も少なくないようで、たちまちすし詰め状態に・・・。だが、闇夜に次々と浮かび上がる建物、その中にほの見える豪華なシャンデリアや内装の奥ゆかしさよ。それらは、通勤電車のような苦しさを一瞬の間忘れさせ、私を夢の世界へと誘ってくれる。大勢の客で賑わうレストラン街を横目に、リアルト橋を通過。そしてサンタ・ルチア駅に到着。
 23時4分、ウディネ行きの快速で出発。何とこれが最終列車だ。間に合って本当に良かった。23時15分、メストレに到着。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(2)

ゴンドラツアー(4)
舟歌

 サン・マルコ広場のカフェでくつろいだ後、ヴァポレットで大運河を渡る。大運河とジューデッカ運河に挟まれた狭い陸地の先端にあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂に降り立つ。外観の壮麗さもさることながら、内部の八角形のドームも美しい。
 さて、ここからジューデッカ運河を渡ることは意外に難しく、いったん対岸のザッカーリアに戻らねばならない。ここでヴァポレットを乗り換えて、今度は広いジューデッカ運河を渡り、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島に上陸する。この島の北側には、その名の通りサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が聳えている。この白亜の教会の鐘楼からは、サン・マルコ広場のそれとは異なるパノラマが広がる。サン・ジョルジョ・マッジョーレ島サン・マルコ広場、そしてサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂

 もう何たびかのサン・マルコ広場に戻る。ヴァポレットにもすっかり乗り慣れた。だからというわけでもないが、ここでエンジンを使わない船・ゴンドラに乗ってみよう。
 サン・マルコ広場の船着場に横付けされた黒いゴンドラに乗る。初めはゆったりと大運河を進む。すぐ近くを通る大型客船に驚き、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前を過ぎる。頭の中で、ショパンの『舟歌』が、ゆっくりと流れ出す。
 突如ゴンドラが向きを変え、大運河から小さな水路に入る。しかも2艘並んで。両者は狭い水路で競争を始める。『舟歌』のテンポが追い付かない・・・。
 水路はますます狭くなって、ついに隣のゴンドラが勝った。ゴンドラは皆一直線に並ぶ。櫂の動作は再び緩慢になり、沈黙漂う水路を静かな水音を立てて進む。そしてたどり着いたところは、街角にひっそりと隠れた(?)ゴンドラのたまり場だった。
 再び大運河に出る。『舟歌』は今頃になって終盤のアップテンポを迎えるが、ゴンドラはもはや櫂を早めることはない。時既に遅しである・・・。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(1)

ヴェネツィア(1)
1日目・2日目

迷宮ふたたび

<1日目>
 イタリアへ向かう飛行機の経路は何だか謎めいていた。通常、日本からヨーロッパへ直通する飛行機は、たいてい大圏コースのシベリアを通る。ところが、この飛行機は中国領内の北辺からカザフスタンに入り、カスピ海を越えてアゼルバイジャンやグルジアを通って黒海に抜ける。フライトマップを見ていると、意地でもロシア領内に入らないようにも見えるのだ。旅行の2週間ほど前に、飛行機の到着時間が当初の予定より2時間遅れると告げられた理由はわかったものの、ロシア領に入らなかった理由が、あの当時(2014年)の政治的事情によるものなのか、それは今でも謎のままである。
 やがて高度が下がり、海からようやく顔を出したような低地や無数の水路が眼下に現れる。やがてそれらはドックやコンビナートに姿を変える。20時前、飛行機はアドリア海のほとり、ヴェネツィア空港に到着する。市内に行くバス乗り場はすぐにわかったが、切符の自販機はやはり手強く、窓口で切符を買う。
 ようやく空港を出発したのは21時。約20分で、ヴェネツィア・メストレ駅前に到着。ここからホテルに歩いて行く。今回もメストレに宿を取ったのは、前回と同じ理由に他ならない。

<2日目>
 メストレ駅から列車に乗る。まるで通勤電車のような混雑だが、窓の外には海峡が広がり、その先にはあの夢の島が姿を現す。ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着。ヴァポレット(水上バス)には駅前からは乗らず、その西隣のローマ広場からLine2(外回り)に乗って、ヴェネツィア本島の中心サン・マルコ広場に向かう。大運河を行くLine1よりも若干空いているからだ。
 2度目のヴェネツィアという余裕からか、サン・マルコ広場に上陸すると、そこを素通りして北へと向かう。人通り(船通り?)の多い明るい水路から、裏さびれた水路へと誘われるように迷宮に入り込む。別に道に迷いたいわけではないのだが、本当に迷ってしまうのだ・・・

 ようやく迷路を抜け出すと、そこにはサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂(舌を噛みそうだ)という大きな教会が聳えていた。騎馬に乗った傭兵隊長・コッレオーニの像が横に控え、正面にはスクオーラ・ディ・サン・マルコという信者会の立派な建物もある。この聖堂の荘厳な内部に入ると、クラシック音楽が聞こえてくる。最初はただのBGMかと思っていたのだが、何と奥の部屋で生演奏していた(コンサートの練習であろうか?)。
 せっかく抜け出した迷路に再び戻る。どこをどう進んだかは思い出せないのだが、スクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ(あいたた・・・)という信者会の建物に至る。名前からわかる通り、ダルマティア地方(現在のクロアチア領・アドリア海沿岸)出身の人々が建てたもので、この地方の人々がかつて船乗りとしてヴェネツィアの海運を支えていた名残なのだが、ここにあるカルパッチョの作品群には圧倒される。

 この迷宮には唯一の救いがある。それは迷宮としては大きな欠点であろうが、アリアドネの糸のように、人々をサン・マルコ広場の方向に導いてくれるのだ。だから私もその導きに従い、サン・ザッカーリア教会の前を通ってサン・マルコ広場に難なく帰還する。

 昼時の広場のカフェから流れてくる心地よい音楽に誘われるがままに着席。もちろん、この演奏はタダではなく、この時間帯には高めのテーブルチャージがかかるのである。ならば、心ゆくまで楽しむしかない。18世紀に創業したというこのカフェを訪れた無数の人々との一体感を味わいながら、時が経つのをしばし忘れる。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)

はじめに

 旅に慣れること。それは旅を重ねる中で必然的にそうなるし、また必要でもある。だが、それは同時に旅の感動や興奮を減らしてしまうものでもある。
 ところが、イタリアは「慣れ」を簡単には許してくれないようだ。予断を持てば、常に裏切られる。それは旅の醍醐味なのであるが、決して笑顔で受け入れられるものではなく、むしろいつも苦笑いと共にやって来るものなのだ・・・

旅の時期
2014年4月~5月

目次

    1日目・2日目
  1. 迷宮ふたたび

  2. 舟歌

  3. 春の夜の夢


  4. 3日目
  5. まさか!


  6. 4日目
  7. ここでは死なない

  8. ヴェネツィア→フェラーラ


  9. 5日目
  10. 光と闇


  11. 6日目
  12. フェラーラ→ボローニャ

  13. 夏の夜の夢


  14. 7日目
  15. ハムか芸術かチーズか


  16. 8日目
  17. 聖と俗


  18. 9日目
  19. 夢破れて

  20. ボローニャ→フィレンツェ


  21. 10日目
  22. オフィス


  23. 11日目
  24. フローラ


  25. 12日目
  26. ギャップ



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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第8弾(ミラノ→ヴェネツィア)(15)

ヴェネツィア(3)
9日目

脱出

 いよいよ旅の最終日になった。ホテルをチェックアウトすると、荷物を持ってメストレ駅に向かう。やって来たのは、青地に白の模様が描かれたローカル電車だ。この日は順調に海峡を渡ると、あっという間にサンタ・ルチアに到着する。駅で荷物を預けると、ヴァポレットには乗らず、大通りを歩く。大運河に注ぐ小さな水路を現代のゴンドラ、モーターボートが行き交う。

 案内板に誘われるまま小さな路地に入り込んで行くと、そこには真っ白なお屋敷が建っていた。大運河に面したバルコニーが美しい。
 カ・ドーロというその建物は、15世紀に建てられたゴシック建築で、かつては表面に黄金を施していたらしい。今では美術館になっている館内を見た後は、大運河に面したバルコニーに出て、眺める。階下に下りると、今にも浸水してきそうな大運河の水際に床一面の見事なモザイク画が描かれている。

 もうすぐこの街を離れなければならないことはわかっているが、踏ん切りをつけられないまま、迷宮をさまよう。水路、また水路、いくつ越えただろう。
 ふと空腹を感じて我に返る。やはり私は人の子だった。路地を出て大通りのレストランへ。「最後の昼餐」とばかりに、パスタはポモドーロ、メインは鰻のグリル、そしてお供はもちろん地元ヴェネト州のSoaveだ。

 すっかり満腹・満足した勢いのまま、サンタ・ルチア駅に戻って荷物を受け取ると、西隣のローマ広場へ。ここはヴェネツィア本島のバスターミナルになっていて、ヴェネツィアから各地に向かうバスが集結している。ここから空港へ向かう5番バスに乗る。
 バスは発車するとすぐに海峡に架かる橋を渡る。あの迷宮にとどまりたい気持ちは、「夢の島」を離れていくその眺めと共に吹き消されてゆく。

 着いた空港の名は、「マルコ・ポーロ空港」。はるかジパングから来た者の夢は、この偉大な旅の先駆者にしばらくお預けだ。

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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第8弾(ミラノ→ヴェネツィア)(14)

サン・マルコ寺院から時計塔
8日目

ライオンの脚の下で(2)

 朝、メストレ駅から列車で本島に向かう。列車は、朝の陽光に輝く海峡をしばらく快調に進んでいたが、やがて停車してしまう。15分くらいしてからようやく動き出すと、本島の街並みが姿を現す。

 サンタ・ルチア駅からはヴァポレットに乗り換え、サン・マルコ広場に向けて外回りに進む。前日の帰り道と同じルートだ。まだ朝だからだろうか、船内は前日よりも空いていて、写真を撮ることもできる。
 まずは本島の西に浮かぶヌオーヴァ島のフェリーターミナルの前を通ると、大型客船次々に姿を現す
 やがてヴァポレットは本島に沿って左に曲がると、ジューデッカ島との間にあるジューデッカ運河に入る。ヴァポレットは本島とジューデッカ島の停留所を交互に行き来して、忙しく動き回る。ジューデッカ島のレデントーレ教会を後にすると、ヴァポレットはサン・マルコ広場に向かう。サン・マルコ広場の鐘楼の手前に見えるドーム型の教会は、広場からは大運河を挟んで対岸にあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会だ。いよいよサン・マルコ広場が真正面に現れる。もともとヴェネツィアのメイン船着場として造られたこの広場は、海上から眺めた時にその端正な真の姿を現すようだ。
 ヴァポレットがサン・マルコ広場に到着して大勢の乗客が降りる。だが、船の上からもう少し広場の姿を見るため、あえて乗り続けてみよう。ヴァポレットはそのまま東に進む。共和国政庁とドゥカーレ宮殿の壁が海岸を覆う、威厳に満ちた風景が現れる。ヴァポレットはスキアヴォーニ河岸にあるザッカリアに停まったので、私はここで下船する

 サン・マルコ寺院の入口は既に大行列になっていて、約30分待ちになっていた。おまけに、ここではバッグ等の手荷物もクロークに預ける必要があるのだが、クロークの場所が寺院から離れていてわかりにくく、苦労する。
 ようやく中に入ってみると、そこには金の地に描かれたキリストや聖人のイコンがずらりと並んでいる。ギリシャやロシア・東欧で東方教会(○○正教の教会)に行ったことのある人なら、ここを東方教会の一つと間違えるかもしれない。だが、ここはれっきとしたカトリック教会なのである。ヴェネツィアが、東欧への大きな窓口であったことを、ここでも改めて実感するのである。
 テラスからの眺めも素晴らしい。時計塔広場、そして海岸

 次いで鐘楼に行く。ここはサン・マルコ寺院以上の大行列で、1時間待ちとなった。しかも炎天下である・・・。だが、エレベーターで登った最上階からの景色は、こうした苦労を吹き飛ばしてくれた。東に続く本島の海岸、広場の対岸にあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ島、そして大運河とジューデッカ運河。人の営みが築き上げた宝石を見るようである。

 地上に戻ると、いったん広場を離れてリアルト橋に行きがてら昼食をとる。そしてリアルト橋からヴァポレットでアカデミアへ。歩けない距離では全くないのだが、橋が少ない上に道が入り組んで迷路のようになっているため、ヴァポレットに乗った方がはるかに楽なのだ。アカデミアの停留所の目の前にはアカデミア美術館がある。ヴェネツィア派の壮大な絵画、とりわけカルパッチョの連作「聖ウルスラ」は圧巻である。

 美術館を出ると、ヴァポレットでまたサン・マルコ広場に戻る。大運河の風情、とりわけゴンドラのある風景はいい。買い物をした後、再びリアルト橋からサンタ・ルチア駅に向かうヴァポレットに乗ったのだが、立っているのがやっとの大混雑だった・・・。ようやく駅に戻り、近くのレストランで夕食。初めて食べるブランズィーノ(地中海地域で獲れるスズキの一種)は絶品だった。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第8弾(ミラノ→ヴェネツィア)(13)

ドゥカーレ宮殿
ライオンの脚の下で(1)

 そこは、今まで通ってきた狭い路地からは想像できないくらい広い場所だった。右を向けば、三方をぐるりと建物に囲まれた広場、そして左を向けば天に向かって聳え立つ鐘楼を真ん中に据えて、サン・マルコ寺院とドゥカーレ宮殿が左右に並ぶ。広場の北側、広場を取り囲む建物の端には壮麗な時計塔があり、広場の南側、海に面した場所には、ヴェネツィアの守護聖人・マルコのシンボルである翼の生えたライオン像が天に向かって屹立している。これらが一体となって作り出す圧倒的な迫力に、私はまたもや戸惑い、立ちつくしてしまう。

 気を取り直して、まずは鐘楼の右側にあるドゥカーレ宮殿に行こう。規則正しく並んだ真っ白な柱廊の上に、薄茶色の装飾模様の建物が載っている。エレガントでありながらまったく隙がないというこの印象は、この宮殿の主であった、ヴェネツィア共和国総督(ドージェ)のそれなのかもしれない。
 宮殿の中庭はサン・マルコ寺院に面していて、寺院を借景にしたオブジェの配置が見事だ。
 建物に入ると、エレガントさすらなくなる。巨大な部屋と、それを飾る壁画や天井画が見るものを圧倒し続ける。他のイタリアの宮殿で見られるようなエレガントでこぢんまりした印象はない。それは、強大な官僚機構に支えられたドージェの権力の本質を表しているのだろうか。
 からは運河を行き交う多数の船を見ることができる。船の種類こそ変わっただろうが、この景色は昔のものと変わらないのだろう。
 見学コースの最後は、「溜息の橋」を渡り、宮殿とは水路を隔てて向かいにある牢獄へと向かう。かつて牢獄へ向かう囚人がこの世との別れを惜しんだと言われた「溜息の橋」はもちろん建物内の渡り廊下である。牢獄は想像通り陰惨な場所であった。

 ようやくシャバに出ると、今度は広場を取り囲む建物に入る。この建物はかつてのヴェネツィア政庁である。1階は現在ではカフェ(このカフェの歴史も実は相当に古い)、レストラン、土産物店などになっていて、2階より上がコッレール博物館と考古学博物館になっている。
 コッレール博物館の部屋はドゥカーレ宮殿よりも小ぶりだが、タペストリーなどで装飾され、とてもゴージャスだ。やはりイタリア的ではないのだが、どこかで見たことがある。そうだ、このような部屋はオーストリアの宮殿で見たのだった。そして博物館の説明を読んで合点がいった。ナポレオンに敗北した後、ヴェネツィアはハプスブルク帝国領となり、この政庁はハプスブルク家の王宮として一時期使われていたのである。
 考古学博物館は、実は美術館と言った方がいいだろう。ローマ時代の彫像から、壁画・天井画・宗教画までいろいろある。なぜか展示室の各所に現代アートのオブジェがたくさん紛れ込んでいる。

 もう夕方になったので、この日のサン・マルコ広場の見学はここで切り上げ、広場の南側にあるスキアヴォーニ河岸から水上バスであるヴァポレットに乗る。このヴァポレットは大運河に入らず、ヴェネツィア本島の外側を回る。混んでいるので立つ。バスと違ってつり革がないので、船の揺れに耐えるのは大変だ。サンタ・ルチア駅の1つ手前、ローマ広場の停留所で降りてみる。大運河に美しいアーチを架ける新しい橋(カラトラヴァ橋)を渡る。サンタ・ルチア駅はすぐ目の前のはずなのだが、案内板が間違って(?)いたりして、なかなか辿りつけない・・・

 17時36分、ヴィチェンツァ行きの普通列車で出発。列車はみるみるうちに「夢の島」を離れていく。それにつれて高揚していた気分も落ち着いてくる気がする。17時44分、メストレに停車。私はここで下車する。
 サンタ・ルチア駅は文字通り「ターミナル」(終端)であるが、交通の要衝としての「ターミナル」であれば、このメストレ駅の方がふさわしい。ここでは、東のミラノ・ローマ、北東のトリエステ(さらにはスロヴェニア・クロアチア)、北のウディネ(さらにはオーストリア)という3方面からの線路が交差するのである。
 さらに言うと、メストレはヴェネツィア観光の拠点でもある。もちろん本島にも数多くのホテルがあるのだが、狭い路地を通るので重い荷物があるとつらいし、トイレやお風呂も不便と聞く。しかも料金は高い。その代わりに風情は格別であろう。一方メストレにも数多いホテルには料金相当の利便性がある。もっとも料金自体は決して安くはないのだが・・・
 というわけで、私はメストレ駅から少し歩いたところにあるホテルに泊まることにした。

 さて、この日も「8月の試練」は容赦なく待ち構えていた。ホテル近くのレストランはことごとく閉まっている・・・結局、ホテルのバーでポモドーロを食べる。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第8弾(ミラノ→ヴェネツィア)(12)

水路(ヴェネツィア)
迷宮

 サンタ・ルチア駅を出た瞬間、そこはもうヴェネツィアだった。目の前に流れるカナル・グランデ(大運河)、運河に沿って立ち並ぶ美しい建物の数々。あまりにも広過ぎて、深過ぎて、これからどこに行けばよいのか、何をすればいいのかわからないまま立ちつくす。

 気を落ち着けてしばらく考えた末、サン・マルコ広場を目指すことにした。大運河の上をバス代わりに走るヴァポレットには乗らず、まずは歩いてみる。大運河沿いの道はさすがに広い。広いとは言っても、車同士がやっと行き交える程度の広さしかない。ヴェネツィアの街には車が走っていないから、道は大勢の観光客で埋め尽くされる
 道端でレストランを見つける。昼時だが、あまり混んでなさそうなので入る。カルボナーラはおいしいのだが、やはりフニャフニャだ。イタリアでどうすればスパゲティをアルデンテで食べることができるか、その当時は答えがわからなかったのである。
 昼食を終えて再び歩き出す。道は次第に細くなっていくのだが、あまり心配する必要はない。なぜなら、少なくともサン・マルコ広場を目指す限り、案内版が至るところに出ているからだ。いくつものを渡っていくうちに、道は小さな路地となる。案内板のままに進んでいるとはいえ、不安になる。その道から左右に一歩でも外れたならば、そこには人っ子一人いない。一度入ろうものなら二度と出られない迷宮の入口が随所に口を開けている気がしてならない。

 複雑に入り組んでいるのは道路だけではない。ヴェネツィアは昔から道路より水路が発達してきた街である。馬車や自動車の代わりに市民の足となったゴンドラは、細い水路にも入り込む。そのため、大きな屋敷には専用の船着場まであるのだ。

 路地や水路が織りなす迷宮、それは人を不安にさせるが、一方では惹きつけもする。誰も踏み入らないその奥にはきっと何か秘密があるに違いない。この街が昔から世界中の人々を惹きつけてきた理由の一つは、そんな妄想を訪れる誰もが抱いてしまうからかもしれない。

 道は再び広くなる。そして大運河に架かる大きな石橋・リアルト橋が現れる。橋の上からは、大運河と河岸の風景を堪能することができる。

 リアルト橋から先は再び細い路地を右へ左へと曲がる。行き交う人が多い上に、商店などに物資を運ぶリヤカー(これほどまでにリヤカーが活躍する場所を見たことがない)も頻繁に通るので、混雑は半端ではない。こうして路地を抜けきったところにやっと空間が開ける。それがサン・マルコ広場であった。

続く
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