ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(8)

ローマ行きFA(フェラーラ駅)
6日目

フェラーラ→ボローニャ

 朝、ホテルを出発。バスに乗るつもりだったが、なかなか来ないので、結局まで歩いてしまう・・・。カラフルなローカル線の車両などを見て過ごす。
 9時26分、ローマ行きのFAが入線。FAはFreccia Argento(フレッチャ・アルジェント)の略で、「銀の矢」という意味の特急列車である。今まで乗ってきたFBよりも最高時速が速い。せっかくなので1等車を予約。車内は座席が1列と2列に並んでいて、とてもゆったりしている。

 列車が町を離れると、すぐに田園風景に変わる。車内ではスナックと飲み物が提供される。特に見どころもなく、列車は大きな市街地に入って大きく左カーブするとボローニャに停車。9時50分。私はここで下車する。

 ボローニャ駅は、正確にはボローニャ中央駅だ。都市の中心にある多くの駅と異なり、線路が行き止まりにならない通過型のホームが東西に多数伸びている。その一方、この駅を始発とする列車のために頭端式のホームも駅舎の東西に存在する。これらは「東○○番線」、「西○○番線」と名付けられている。このようにホームの種類が3種類もあり、また東と西のホームが大きく離れているため、初めて来た私は列車を乗り換えるわけでもないのに地下通路の案内板や行先掲示板を見ていて混乱してしまった・・・。ようやく駅前にたどり着く。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(7)

エステンセ城(1)
5日目

光と闇

 この日も朝から雨だった。少々頼りない小さな折り畳み傘を持って出かける。ホテルから少し北に歩けば、そこはもう町の中心部だ。フェラーラの市庁舎の向かい側には、カテドラルもある。内部には巨大な祭壇画が並んでいて、ステンドグラスも美しい。
 さらに北に歩けば、町のシンボル・エステンセ城が聳え立つ。近くに川がない代わりに、四方に廻らされたには水が湛えられており、今でも要塞として使えそうだ。400年にわたってフェラーラを支配したエステ家の居城である。城の2階の天井画が壮大だ。ここでは大きな鏡が用意されているので、それで眺めることができる。

 エステンセ城からさらに北に歩くと、ディアマンティ(ダイヤモンド)宮という建物がある。現在では絵画館になっているのだが、外観もなかなか面白い。ダイヤモンドのようなファサードが多数埋め込まれているのでこの名がついている。ところが、この時はマティス展をやっていて大混雑。中に入るのは断念した。(イタリアではマティスの人気が高いのか、イタリアで何度か遭遇したマティス展はいずれも混雑していた。)

 エステンセ城の前を通るジョヴェッカ大通りまで戻り、東に歩く。エステ家の離宮の一部であるマルフィーゼの家を見たりしながら、町の東端まで到達。引き返す。マルフィーゼの家の近くから南に折れ、さらに左折したところにあるのが、これもエステ家の離宮であったスキファノイア宮殿だ。
 「12か月の間」と呼ばれる壁いっぱいに描かれたフレスコ画に圧倒される。その感銘も冷めやらぬまま、その奥の間に入った瞬間、私は思わず後ずさりした。そこにはフレスコ画から飛び出してきたような中世風の衣装を着た男性が立っていたからだ。その男性にメイクを施す女性と、居並ぶスポットライトを見て、ここで何が行われているのかやっと了解した。それにしても、一般の見物客の前で映画orドラマの撮影とはすごい。見物客としては、撮影のために部屋を締め切られて、そこが見られなくなってしまうよりは、この方がずっとありがたい。

 青の下地の上に金細工で満たされた奥の間の天井、その下に横たわる男。男は突如「ルクレツィア・・・」とつぶやき、そして息絶える。ルクレツィア?ここはエステ家の離宮であった。エステ家にゆかりのあるルクレツィア。それはただ一人しか思いつかない。ルクレツィア・ボルジアだ。日本では「チェーザレの妹」と言った方が通じるかもしれないが、ヨーロッパではオペラのヒロインになっていて、彼女の方が有名だったりする。ということは、今ここで「死んだ」男は、彼女の最後の夫にしてフェラーラ公爵・アルフォンソ1世ということだろうか。ちなみにアルフォンソ1世は、マントヴァの侯爵夫人イザベッラ・デステの弟である。

 通りを西に向かい、町の中心部に戻る。空はようやく晴れ渡る。街並みは中世の面影を残していて、ポルティコもしっかり残っている。昼食後にいったんホテルに戻る。

 日が暮れてから夕食に出かける。エステンセ城市庁舎カテドラルがライトアップされて、昼間とは別の世界が浮かび上がる。とりわけ昔ながらの通りは人通りもなく、少々不気味だが、幻想的な雰囲気を醸し出している。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(6)

レッツェ行きFB9817(サンタ・ルチア駅)(1)
ヴェネツィア→フェラーラ

 サンタ・ルチア駅でしばらくぶらつく。様々な列車がホームに到着しては去っていく様子を眺めて過ごす。
 14時40分過ぎ、レッツェ行きのFB9817が入線する。通常のFBの車両とは異なり、機関車が客車を牽引している。ICやECと同じスタイルである。

 15時1分、予定より4分遅れで列車が出発する。列車は静かに海峡を渡り、夢の島を後にする。15時9分、メストレに停車。そのまま東に向かい、15時29分パドヴァに停車する。
 パドヴァから分岐を左に折れ、ミラノ方面に向かう線路と別れを告げる。市街地を離れると、辺りは田園風景になり、それもやがては野山に変わり、トンネルも通過する。天気は朝から曇りがちであったが、ここでとうとう激しい雨が降り出す。そのせいか、列車は徐行運転になる。徐行から回復できないまま、列車はゆっくりとアディジェ川を渡る。あのヴェローナの市街を流れていた川だ。列車はそのまま市街地に入り、ロビゴに停車。15時54分。
 ロビゴのすぐ先で、アディジェ川沿いに遡ってヴェローナに向かう線路と、反対にアディジェ川沿いに下ってアドリア海に面したキオッジャに向かう線路、そして南に向かう線路に分岐する。この列車はもちろん南に向かう。ポレゼッラからは北イタリアを代表する大河・ポー川に沿って南西に進む。雨はようやく止む。列車はポー川を渡ると、大きな市街地に入る。16時11分、予定より10分遅れでフェラーラに停車する。私はここで下車するが、この列車は、ボローニャまで南下した後、アドリア海に沿ってイタリア半島を縦断し、半島南端の「長靴のかかと」にあるレッツェまで長旅をする。そんな名残惜しい気持ちで列車を見送り、外に出る。

 とりあえず駅の売店でバス券を買って、駅前のバス停に並んではみたものの、バスはなかなか来ない。雨上がりで空気は一気に冷え込み、とても寒い。15分ほど待った後、ようやく1番バスが到着。バスは市街地の西端にある駅から通りを南東に進み、市街地の中心部に向かう。
 エステンセ城のそばで下車すると、南に向かって歩く。また雨が降ってきた。慌てて折り畳み傘を開く。旧市街の南の城壁を抜けた辺りに目指すホテルがあるはずなのだが、こういう時に限ってなかなか見つからない・・・。傘はさしているものの、小さいのでだんだん体も荷物も濡れてくる。ようやく、濡れ鼠のようになってホテルにたどり着くと、またもや予想外の事態が起こる。
 「予約が入っていない」と告げられた時、意外にも私は冷静だった。今までの(特にアジアでの)経験や、パドヴァでの出来事の記憶がそうさせたのかもしれない。すぐにバウチャーを取り出して説明を始める。(バウチャーは、印刷するなりして常に携帯することを強くおすすめする。)ところが、今度はフロント氏が狼狽する。私は確かに予約をしていたし、料金も前払いしていたのだが、ホテルには私の予約が入っていなかったし、しかも不運なことに、ホテルは満室だったのだ・・・。話には聞いていたが、ダブルブッキングに遭遇するのは、これが初めてであった。フロント氏は予約エージェント会社に電話するが、業務時間外だったらしく通じない・・・。
 フロント氏はどこかに出かけ、私はロビーで待つ。しばらくして戻ってきたフロント氏は、私を近くの別のホテルに案内してくれた。もちろん追加の出費などはない。一時はどうなるかと思ったが、何とか助かった。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(5)

大運河(3)
4日目

ここでは死なない

 朝、ホテルをチェックアウトして出発。荷物があるので、ホテルの前を通る路線バスでヴェネツィア本島のローマ広場まで行こうと試みたが、通勤時間帯のゆえか非常に混雑しているので、断念。結局メストレ駅まで歩き、サンタ・ルチア行きの列車に乗る。

 サンタ・ルチア駅からはLine1のヴァポレットに乗り、大運河を行く。リアルト橋に別れを告げ、サン・トーマで下船。サン・トーマ広場からさらに奥に進むと、大きな教会が現れる。サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会だ。中に入ると、ティツィアーノをはじめとした巨匠達の描いた巨大な祭壇画に圧倒される。その隣にあるのは、スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコという信者会だが、ここも壁といい天井といい巨大な絵で満たされている。小さな鏡がいくつも置いてあり、それで天井の絵を眺めることができるのだ。

 サン・トーマの船着場に戻ってLine1に乗り、サン・マルコ広場に向かう。当面来ることのない大運河の風景を心に刻みながら。
 サン・マルコ広場は今まで見たことがないくらい、人でごった返す。落ち着いた気持ちでこの広場に別れを惜しむことはできそうにない。すぐさまLine1に乗って出発する。

 船は南東に突き出たヴェネツィア本島の岸に沿って進む。大運河を通っていた時とはうって変わって、風も波も一気に強くなる。名高いビエンナーレが開かれる庭園の前を過ぎると、ついに本島を離れて海峡に差し掛かる。風と波はさらに強くなる。やがて、対岸の街が現れる。こうしてリド島に到着する。

 リド島はリゾート地であるから、海水浴やイベントもない今の時期は人気も少なく、静かだ。南北に細長い島なので、あっという間に島の反対側(つまり外海側)に出てしまう。浜辺に下りる道は無数にあるが、そもそも海水浴場には興味がないし、行ってみたところで、白いタキシードを着たおじさんを見かけることもないだろう。
 他に見どころのない島ではあるが、やはり飲食店は多い。ここで昼食を取る。

 帰りは、Line5.1というサン・マルコ広場を経由しない路線に乗ってみた。これはヴェネツィア本島の北岸を経由する路線で、予想通り乗客は少なく、波風が少々強いことさえ我慢できれば、楽しい船旅である。船は海峡を渡ると、ヴェネツィア本島の北岸に沿って進み、サン・ピエトロ島やアルセナーレ(造船所)の北側を通る。
 船はやがてカナレジオ運河に入り、そして再び大運河に合流して、サンタ・ルチア駅前に到着する。

 とても名残惜しい。ここで死んでもいいという人の気持ちもよくわかる。だが、私には見たいこと、知りたいことがまだまだたくさんあるのだ。先に進もう。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(4)

ラジョーネ宮(1)
3日目

まさか!

 この日はいったんヴェネツィアを離れてみる。8時32分、トリノ行きのFB9710でメストレを出発。この辺りは複々線化されていて、列車は特急専用レーンを猛スピードで駆け抜ける。8時48分、次の駅パドヴァに停車。私はここで下車する。わずかな時間だが特急を使ったのは、混雑を避け、ゆったりと鉄道を楽しみたかったからだ。

 ミラノ・ヴェネツィアを結ぶ東西の路線とローマからフィレンツェ・ボローニャを経由してきた南北の線が合流するパドヴァの駅舎を出て、南に歩く。ほどなくして運河を渡ると、中世都市、後にヴェネツィアの植民地となったパドヴァの旧市街になる。
 運河のすぐ南にあるアレーナ庭園の一角にあるのが市立博物館、そして「隣接する」スクヴェローニ礼拝堂である。私は礼拝堂を彩るジョットの壁画を見るために、入場時間が決められた礼拝堂のチケットを事前に予約していた。チケットと、これも予約していたパドヴァカード(市内交通乗り放題+市内見どころが無料または優待)を市立博物館で受け取る。この時私は、今までの経験から、礼拝堂と博物館が文字通り「隣接する」と思っていたようだ。

 礼拝堂の入場時間まで時間があるので、まずは博物館を見学。地元で発掘された土器・彫像、宗教画を中心とした絵画コレクション、そしてなぜかこんなところにもある古代エジプトのコレクションまで、意外に見ごたえのあるコレクションにすっかり満足する。
 礼拝堂の見学時間が近づいた。「スクヴェローニ」の案内板に従って地下に下りると、そこにはジョットの壁画を映し出した大きなモニタがある。奥に入ると、それらしい陳列スペースがある。もちろん、教会がこのような陳列スペースに収まるわけがなく、私はこの奥に本物の入口があるのだと思っていた。あの密閉されたような空間には、地下から行くのがふさわしような気もしていた。
 だが入口はなく、行き止まりだ。違う!慌てて階段を上り下りして館内を探すが、それらしき入口はない。外だ!と気づいた時は、既に20分以上彷徨した後だった。外に出ると、道端に礼拝堂の方向を示した小さな標識(本当にこのようなものだったか記憶が疑わしい)を見つけた気がする。その方向に教会があった。半ば呆然としたまま行ってみる。確かにここがスクヴェローニ礼拝堂であったが、指定の時間が過ぎていたため入ることはできなかった・・・。
 「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして"まさか"だ。」と言った人が昔いた。こんな平坦な道に「まさか」は潜んでいたのである。

 すっかり意気消沈してしまった。昼時でもあるし、町の中心に行こうとバスを待つ。ところが、いくら待ってもバスは来ない・・・。良くないことは続くものである。もうどこに行くあてもなく、何となく南に歩き始める。19世紀からあるというカフェ・ペドロッキの前を通り、案内板に導かれるままに道を右に折れると、ラジョーネ宮というかつての裁判所に行き着く。
 パドヴァカードがあれば見学は無料と思いきや、特別展をやっているという理由で追加料金が必要だった。特別展は、建築関係ということしか理解できなかったが、壁一面の絵画やなぜここに置かれているかわからない巨大な木馬を眺めていると、先ほどから沈んでいた気分も少し落ち着いてきた。
 人気の少ないテラスから下を眺める。すると、柵で囲われた道路を懸命に走っている人々がいる。何とマラソン大会が開かれていたのである。バスが走っていない理由もわかった。

 さらに面白い何かを求めて、南に歩く。中世から続くポルティコ(柱廊)の街並みを、マラソン人が通り過ぎる。彼らの脳内と同じように体内麻薬でも出ていたのであろうか、私は疲れも知らずに歩き続ける。

 たどり着いたのは、サンタントニオ聖堂というスクヴェローニに比べるとずっと大きな教会であった。青を基調に彩られた天井と極彩色の壁画が、見る者を非日常の世界に誘う。イタリアでも屈指の巡礼地らしく、熱心に祈る人々の姿が後を絶たない。聖堂付属の博物館がちょうど昼休みで閉まっているので、私も昼食へ。門前町にはレストランも多い。昼食後に博物館に行く。ここでもパドヴァカード+追加料金が必要である。カードの存在意義はいよいよ疑わしい。

 マラソンはほぼ終息したものの、まだバスは動いていないから、結局サンタントニオ聖堂からパドヴァ駅まで歩くはめになった。そして駅に着く間際になって、ようやくバスが再開する。この日の私にとって、パドヴァカードはほぼ無用の長物であった・・・。

 16時2分、トリエステ行きIC588に乗る。様々な教訓を胸に、パドヴァを去る。16時19分、メストレに到着

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(3)

リアルト橋
春の夜の夢

 時刻は18時過ぎ。4月の終わりとはいえ、日本より高緯度のこの地域は、まだ日没にはほど遠い。実は夜にはザッカリア近辺に用があるのだが、それまでには時間が余る。そこで思いついたのは、ヴァポレットで本島の内側をぐるりと回る計画だ。
 まずはLine2に乗って出発サン・マルコ広場を真正面に仰いでジューデッカ運河を進む。やはり夕方に帰る日帰り客が多いからだろうか、各停留所での乗り降りに相当時間がかかり、ローマ広場に着いた時には19時になっていた。当初はローマ広場近辺で夕食を企んでいたのだが、大運河の混雑も考慮すると、それどころではなくなった。すぐにLine1に乗り換える。

 サンタ・ルチア駅真正面のサン・シモーヌ・ピッコロ教会を皮切りに、運河沿いの美しい建築が次々と現れては消える。自然史博物館カ・ペーザロ、カ・ドーロ、そしてリアルト橋を越える。橋の傍のレストラン街は夜の営業を始めたようだ。川岸の建物にも灯が点る。ヴァポレットはいつの間にかアカデミアまで来ていた。外壁に描かれた絵が美しいダ・ムーラ・モロシーニ宮を過ぎると、もうサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前だ。そして、プンタ・デッラ・ドガーナを過ぎると再びサン・マルコ広場が現れ、ヴァポレットはザッカリアに停まる。時刻はもう20時になっている。

 ザッカリア停留所のすぐそばにあるサンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会に行く。このこぢんまりした教会が、今夜のコンサート会場である。
 20時30分、コンサートがスタート。ヴァイオリン6台+チェンバロという弦楽団。いくつかの短い曲の後、ヴェネツィア楽派を代表する作曲家・ヴィヴァルディの『四季』をフルで演奏する。弦楽器の美しい調べが壁によく反響して、私の体にも響く。コンサートは約1時間で終了。固いイスに座っていたので、お尻が痛い・・・。

 外は既に真っ暗になっていた。潮が満ちてきて、河岸の一部が既に冠水している・・・。帰りもLine1に乗る。この時間に帰る人も少なくないようで、たちまちすし詰め状態に・・・。だが、闇夜に次々と浮かび上がる建物、その中にほの見える豪華なシャンデリアや内装の奥ゆかしさよ。それらは、通勤電車のような苦しさを一瞬の間忘れさせ、私を夢の世界へと誘ってくれる。大勢の客で賑わうレストラン街を横目に、リアルト橋を通過。そしてサンタ・ルチア駅に到着。
 23時4分、ウディネ行きの快速で出発。何とこれが最終列車だ。間に合って本当に良かった。23時15分、メストレに到着。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(2)

ゴンドラツアー(4)
舟歌

 サン・マルコ広場のカフェでくつろいだ後、ヴァポレットで大運河を渡る。大運河とジューデッカ運河に挟まれた狭い陸地の先端にあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂に降り立つ。外観の壮麗さもさることながら、内部の八角形のドームも美しい。
 さて、ここからジューデッカ運河を渡ることは意外に難しく、いったん対岸のザッカーリアに戻らねばならない。ここでヴァポレットを乗り換えて、今度は広いジューデッカ運河を渡り、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島に上陸する。この島の北側には、その名の通りサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が聳えている。この白亜の教会の鐘楼からは、サン・マルコ広場のそれとは異なるパノラマが広がる。サン・ジョルジョ・マッジョーレ島サン・マルコ広場、そしてサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂

 もう何たびかのサン・マルコ広場に戻る。ヴァポレットにもすっかり乗り慣れた。だからというわけでもないが、ここでエンジンを使わない船・ゴンドラに乗ってみよう。
 サン・マルコ広場の船着場に横付けされた黒いゴンドラに乗る。初めはゆったりと大運河を進む。すぐ近くを通る大型客船に驚き、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前を過ぎる。頭の中で、ショパンの『舟歌』が、ゆっくりと流れ出す。
 突如ゴンドラが向きを変え、大運河から小さな水路に入る。しかも2艘並んで。両者は狭い水路で競争を始める。『舟歌』のテンポが追い付かない・・・。
 水路はますます狭くなって、ついに隣のゴンドラが勝った。ゴンドラは皆一直線に並ぶ。櫂の動作は再び緩慢になり、沈黙漂う水路を静かな水音を立てて進む。そしてたどり着いたところは、街角にひっそりと隠れた(?)ゴンドラのたまり場だった。
 再び大運河に出る。『舟歌』は今頃になって終盤のアップテンポを迎えるが、ゴンドラはもはや櫂を早めることはない。時既に遅しである・・・。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(1)

ヴェネツィア(1)
1日目・2日目

迷宮ふたたび

<1日目>
 イタリアへ向かう飛行機の経路は何だか謎めいていた。通常、日本からヨーロッパへ直通する飛行機は、たいてい大圏コースのシベリアを通る。ところが、この飛行機は中国領内の北辺からカザフスタンに入り、カスピ海を越えてアゼルバイジャンやグルジアを通って黒海に抜ける。フライトマップを見ていると、意地でもロシア領内に入らないようにも見えるのだ。旅行の2週間ほど前に、飛行機の到着時間が当初の予定より2時間遅れると告げられた理由はわかったものの、ロシア領に入らなかった理由が、あの当時(2014年)の政治的事情によるものなのか、それは今でも謎のままである。
 やがて高度が下がり、海からようやく顔を出したような低地や無数の水路が眼下に現れる。やがてそれらはドックやコンビナートに姿を変える。20時前、飛行機はアドリア海のほとり、ヴェネツィア空港に到着する。市内に行くバス乗り場はすぐにわかったが、切符の自販機はやはり手強く、窓口で切符を買う。
 ようやく空港を出発したのは21時。約20分で、ヴェネツィア・メストレ駅前に到着。ここからホテルに歩いて行く。今回もメストレに宿を取ったのは、前回と同じ理由に他ならない。

<2日目>
 メストレ駅から列車に乗る。まるで通勤電車のような混雑だが、窓の外には海峡が広がり、その先にはあの夢の島が姿を現す。ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着。ヴァポレット(水上バス)には駅前からは乗らず、その西隣のローマ広場からLine2(外回り)に乗って、ヴェネツィア本島の中心サン・マルコ広場に向かう。大運河を行くLine1よりも若干空いているからだ。
 2度目のヴェネツィアという余裕からか、サン・マルコ広場に上陸すると、そこを素通りして北へと向かう。人通り(船通り?)の多い明るい水路から、裏さびれた水路へと誘われるように迷宮に入り込む。別に道に迷いたいわけではないのだが、本当に迷ってしまうのだ・・・

 ようやく迷路を抜け出すと、そこにはサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂(舌を噛みそうだ)という大きな教会が聳えていた。騎馬に乗った傭兵隊長・コッレオーニの像が横に控え、正面にはスクオーラ・ディ・サン・マルコという信者会の立派な建物もある。この聖堂の荘厳な内部に入ると、クラシック音楽が聞こえてくる。最初はただのBGMかと思っていたのだが、何と奥の部屋で生演奏していた(コンサートの練習であろうか?)。
 せっかく抜け出した迷路に再び戻る。どこをどう進んだかは思い出せないのだが、スクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ(あいたた・・・)という信者会の建物に至る。名前からわかる通り、ダルマティア地方(現在のクロアチア領・アドリア海沿岸)出身の人々が建てたもので、この地方の人々がかつて船乗りとしてヴェネツィアの海運を支えていた名残なのだが、ここにあるカルパッチョの作品群には圧倒される。

 この迷宮には唯一の救いがある。それは迷宮としては大きな欠点であろうが、アリアドネの糸のように、人々をサン・マルコ広場の方向に導いてくれるのだ。だから私もその導きに従い、サン・ザッカーリア教会の前を通ってサン・マルコ広場に難なく帰還する。

 昼時の広場のカフェから流れてくる心地よい音楽に誘われるがままに着席。もちろん、この演奏はタダではなく、この時間帯には高めのテーブルチャージがかかるのである。ならば、心ゆくまで楽しむしかない。18世紀に創業したというこのカフェを訪れた無数の人々との一体感を味わいながら、時が経つのをしばし忘れる。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)

はじめに

 旅に慣れること。それは旅を重ねる中で必然的にそうなるし、また必要でもある。だが、それは同時に旅の感動や興奮を減らしてしまうものでもある。
 ところが、イタリアは「慣れ」を簡単には許してくれないようだ。予断を持てば、常に裏切られる。それは旅の醍醐味なのであるが、決して笑顔で受け入れられるものではなく、むしろいつも苦笑いと共にやって来るものなのだ・・・

旅の時期
2014年4月~5月

目次

    1日目・2日目
  1. 迷宮ふたたび

  2. 舟歌

  3. 春の夜の夢


  4. 3日目
  5. まさか!


  6. 4日目
  7. ここでは死なない

  8. ヴェネツィア→フェラーラ


  9. 5日目
  10. 光と闇


  11. 6日目
  12. フェラーラ→ボローニャ

  13. 夏の夜の夢


  14. 7日目
  15. ハムか芸術かチーズか


  16. 8日目
  17. 聖と俗


  18. 9日目
  19. 夢破れて

  20. ボローニャ→フィレンツェ


  21. 10日目
  22. オフィス


  23. 11日目
  24. フローラ


  25. 12日目
  26. ギャップ



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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第8弾(ミラノ→ヴェネツィア)(15)

ヴェネツィア(3)
9日目

脱出

 いよいよ旅の最終日になった。ホテルをチェックアウトすると、荷物を持ってメストレ駅に向かう。やって来たのは、青地に白の模様が描かれたローカル電車だ。この日は順調に海峡を渡ると、あっという間にサンタ・ルチアに到着する。駅で荷物を預けると、ヴァポレットには乗らず、大通りを歩く。大運河に注ぐ小さな水路を現代のゴンドラ、モーターボートが行き交う。

 案内板に誘われるまま小さな路地に入り込んで行くと、そこには真っ白なお屋敷が建っていた。大運河に面したバルコニーが美しい。
 カ・ドーロというその建物は、15世紀に建てられたゴシック建築で、かつては表面に黄金を施していたらしい。今では美術館になっている館内を見た後は、大運河に面したバルコニーに出て、眺める。階下に下りると、今にも浸水してきそうな大運河の水際に床一面の見事なモザイク画が描かれている。

 もうすぐこの街を離れなければならないことはわかっているが、踏ん切りをつけられないまま、迷宮をさまよう。水路、また水路、いくつ越えただろう。
 ふと空腹を感じて我に返る。やはり私は人の子だった。路地を出て大通りのレストランへ。「最後の昼餐」とばかりに、パスタはポモドーロ、メインは鰻のグリル、そしてお供はもちろん地元ヴェネト州のSoaveだ。

 すっかり満腹・満足した勢いのまま、サンタ・ルチア駅に戻って荷物を受け取ると、西隣のローマ広場へ。ここはヴェネツィア本島のバスターミナルになっていて、ヴェネツィアから各地に向かうバスが集結している。ここから空港へ向かう5番バスに乗る。
 バスは発車するとすぐに海峡に架かる橋を渡る。あの迷宮にとどまりたい気持ちは、「夢の島」を離れていくその眺めと共に吹き消されてゆく。

 着いた空港の名は、「マルコ・ポーロ空港」。はるかジパングから来た者の夢は、この偉大な旅の先駆者にしばらくお預けだ。

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