ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(8)

コロッセオ(3)
7日目

娯楽

 朝、ホテルを出る。ホテルに一番近いのは地下鉄の駅なのだが、以下に記す事情により、あえて1駅先のテルミニ駅まで歩く。途中の通りにあるチケット販売スタンドで、ローマ・パスを買う。このパスは、ローマ市内の公共交通が3日間乗り放題になるうえ、最初に入った2つの見どころが無料・他の見どころも割引になる(2014年時点)という、なかなかの優れものだ。

 テルミニ駅から地下鉄B線に乗り、コロッセオで下車。地上に出ると、その名の通り目の前にコロッセオが現れる。
 何だか球場に野球を見に来たような気分になるが、これは紀元80年、すなわち1900年以上前に建てられたものだ。見方を変えれば、現在の球場や競技場の原型は、この時点でほぼ確立されたと言えるのかもしれない。

 ローマ有数の観光地だけあって、チケット売り場には既に長蛇の列・・・。だが、ローマ・パスを持っている私は、そこをスキップして入口に向かう。以前に行ったヴェローナなど、ヨーロッパ各地にローマ時代の競技場が残存しているが、その総本山であるここローマのコロッセオは、収容人数5万人超!やはりスケールが断然大きい。巨大な壁が今も訪れるものを圧倒する。
 中央の広大なアレーナでは、剣闘士や猛獣のショーが繰り広げられていた。いわゆる「パンとサーカス」のうちの「サーカス」がここで提供されていたのである。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(7)

DSC00754ローマ・テルミニ駅に到着
オルヴィエート→ローマ

 アレッツォで増えた乗客がここまでは徐々に減っていたのだが、オルヴィエートでまた大勢乗ってくる。列車が発車するとすぐ、パーリャ川が、コルバーラ湖から注ぎ出したテヴェレ川に合流する。列車はテヴェレ川の渓谷を進む。カーブやトンネルが断続する。川が湖のように大きく広がったところでアルヴィアーノに停車。13時42分。
 辺りには山が続くが、木はなく、草がわずかしか生えていない。特に夏場は乾燥するのであろう。13時49分、アッティリアーノに停車。列車はさらに南東に進む。右からはオルヴィエート以来の特急専用線、左からは高速道路が迫ってくる。この辺りは地形的にボトルネックなのであろう。少し平地が広くなるとボトルネックも「緩む」。向こうの丘の上に段々と住宅が並ぶ。これはオルテの町であろうか?
 やがて列車は右にカーブすると左から線路が合流してくる。これは、アドリア海沿岸から山を越えてやってきた線路だ。ちょうどテヴェレ川が北東から流れてきたネーラ川と合流する地点でもある。合流したところで14時1分、オルテに停車。

 オルテからはますます乗客が増える。線路はまた分岐する。この列車は左に分岐して、引き続きテヴェレ川の渓谷に沿って進む。ちなみに右に分岐すると、ローマの西北にあるブラッチャーノ湖に通じるようだ。
 まもなく特急専用線が現れ、しばらくの並走の後、列車は専用線に入る。蛇行するテヴェレ川をよそに、こちらはまっすぐのトンネルに入ったわけだが、どういうわけだか徐行を始め、とうとう停車してしまった・・・
 5分ほど停車した後、ようやく動き出した列車はぐんぐんスピードを上げる。テヴェレ川沿いの一般線であれば、スピードが出ず、遠回りである代わりに景色は多少良いのかもしれない。特急専用線は、スピードと近道の代償として、やたらと長いトンネルの続く単調な景色を受け入れねばならない。

 というわけで、列車はあっという間にローマ市の北端・セッテバンニに到達し、通過する。そしてヌオーヴォ・サラリオ駅周辺の巨大車庫を通過すると、ローマ・ティブルティーナに停車する。14時45分。
 辺りは既にローマの巨大な幹線網の真っただ中であり、見渡す限り線路が広がる。列車は巨大な右カーブをゆっくりと進むと、終点のローマ・テルミニ駅に滑り込む。14時50分、ついに到着

 他のイタリアの大都市と同様、テルミニ駅も頭端式である。なぜか、その張り出し部分に停車したため、長い長いホームを歩き、ようやく駅の中心部に到着。アジアからの長い長い鉄路が、ローマに通じたと実感した瞬間だった。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(6)

DSC00745テロントア駅
アレッツォ→オルヴィエート

 それまでガラガラだった車内に、どっと乗客が乗り込む。それに呼応するかのように、アレッツォを出発すると、それまでなかった検札がすぐに始まる。
 大きな山の麓に、赤い屋根の家々やひまわり畑が散在する。12時24分、カスティリオーン・フィオレンティーノに停車。丘の上に城が見える。次いで、12時32分カムチアに停車。向こうの山の上に見える町は、コルトーナであろう。コルトーナにはかつて司教座が設置されており、司教区美術館にはフラ・アンジェリコの『受胎告知』という日本でもおなじみの絵がある。12時38分テロントラに停車。

 テロントラを出発したところで、線路は二手に分岐し、目の前にはトラジメーノ湖が立ちはだかる。湖を前に州境も引かれており、北のトスカーナ州から、南のウンブリア州に入る。左に分岐すると湖の東岸を通って、州都・ペルージャに向かう。この列車は分岐を右に進んで湖の西岸を通る。12時45分、湖岸の町カスティリオーネ・デル・ラルゴに停車。湖に面する丘の上に市街地あるのが見える。

 列車は湖から離れて南西に進むと、再び州境をまたいでトスカーナ州に戻り、右から来た線路と合流。12時57分、キューシに停車。キューシを出発すると、三たび州境をまたいでウンブリア州に入る。
 13時9分、ファブロ・フィキューレに停車。ここからは山間部になり、トンネルやカーブが連続する。パーリャ川を渡った後は平坦な土地をほぼ直進してオルヴィエートに停車。13時26分。
 駅の南側にある丘の上には、古代から続くオルヴィエートの町がある。ここにも行ってみたいけど、通過する。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(5)

ローマ行き快速(SMN駅)
6日目

フィレンツェ→アレッツォ

 ついにフィレンツェに別れを告げる朝が来た。SMN駅に行き、右端のホームからローマ行きの快速列車に乗る。鉄道ファンとして、車両の落書きを見るのは悲しい。特に列車の「顔」と言える前面・後面の落書きには目をそむけたくなる。しかしギリシャと同様、ここイタリアでもこれがありふれた光景になっているのが現実である。

 列車は11時12分に発車する。構内線の中で大きく右カーブして、ボローニャやピサやシエナに向かう線路と分岐すると、スタトゥートを通過。この後、さらに大きく右カーブして、北から来た線路と合流して南に向かう。SMN駅を出発した列車は皆北向きだから、大きく旋回して、ここでようやく南向きになれるわけだ。
 11時18分、カンポ・ディ・マルテに停車。広い構内線の列とフィレンツェの市街地はここで終わり、アルノ川沿いの田園風景の中を進む。
 列車はロヴェッツァーノを通過すると、右に分岐して特急専用線に入る。左に分岐して一般線を進めばアルノ川の渓谷沿いに進むのだが、こちらはさっさとアルノ川を渡ると、長いトンネルを断続的に通過するのみである・・・

 ようやく連続するトンネルを抜け出して、特急専用線からも離脱すると、アルノ川を渡って一般線に合流したところでフィリーネに停車。11時35分。
 一般線の中でも、この区間は単線なようで、まるで高速道路をインターチェンジで下りて村道を走るイメージである。11時41分、サン・ジョヴァンニに停車。ここで対向列車を待つ。次いで、11時48分にモンテヴァルキに停車。ここからは山間部に入る。カーブが連続する。感じの良い山村の駅を次々に通過する。

 再び市街地が現れ、いくつもの線路が合流すると、列車はアレッツォに停車。12時10分。この町も古い歴史があり、ぜひ寄ってみたかったのだが、今回は時間がなく通過する。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(4)

カンポ広場
5日目

宴の前

 朝、SMN駅の4番線へ行く。ホームも、そこに停車している列車にもどこか見覚えがある。それもそのはず、これは前日に乗ったシエナ行きなのだから・・・
 9時15分に出発。ルートも時間も前日と同じだから、途中まで省略しよう。10時18分、ポッジボンジに停車。ここからは山間部になり、線路も単線に変わる。目の前にお城が現れる。カステリーナ・イン・キャンティを通過。今度は山の頂上に城が見える。バデッセを通過。いくつものトンネルを抜ける。いくつ目かのトンネルに入ると列車は徐行する。そしてトンネルを抜けると、そこは終点のシエナだった。10時40分に到着。

 まずは何も考えずに駅前に出てみる。駅は市街中心部からは離れているからバスに乗る必要がある。チケットは買ったものの、市街中心部への乗り場がわからない・・・。その時、明らかに旅行者風情の人々が次々に駅前のショッピングモールに入っていくのが見えた。迷ったら人に追随するのもありだ。私も中に入ってみよう。
 人々を追って、エスカレーターに乗る。最初は普通のエスカレーターだった。ところが、何度も乗り換えているうちに、エスカレーターが折り返すことなく、まっすぐに続いていることに気づく。いつの間にか商業施設ははるか後方になり、ひたすら長い坂道を上っているのである。そして出口。そこは建物の屋上ではなく、地上であった。しばらく狐につままれた気分になったが、ようやくここまでの経路や自分の現在位置を理解した。
 シエナの市街地は丘の上にあるのだが、駅は丘の下にある。駅前のショッピングモールは丘の麓に建っていて、市街地の丘への連絡通路があるのだ。

 というわけで、私は市街地の丘まで上がってきたわけだが、それでも中心部には少し遠いので、ここアンティポルトというところからバスに乗る。どこをどう進んだのかよくわからないのだが、ともかくドメニコ広場で下車する。広場には同じ名前の立派な教会も建っているのだが、私の目は谷を挟んで向こうに見えるドゥオーモの壮麗な姿にくぎ付けになってしまった。実際にはドゥオーモから谷に向かって建物がびっしりと並んでいるのだが、私にはどうもドゥオーモの姿だけが浮き上がって、それが天空に浮いているように見えてしまうのだ。とにかくあそこまで行ってみたい。

 まず、ドメニコ広場から坂を下り、また上ってサリンペーニ宮へ。中には入れないが、美しい建物だ。
 サリンペーニ宮から左手に歩くと、また坂を下る。シエナは本当に坂道が多い。町の中心・カンポ広場にたどり着く。だが、ここは広場というよりは競技場である。なぜなら、そこには馬場桟敷席があるからだ。ただし、これはこの広場の常の姿ではないようで、これから数日後に開催されるパリオという行事のためだろう。パリオでは裸馬の競馬が行われるからだ。
 広場に面したプッブリコ宮に行くが、切符売り場は長蛇の列でいったん諦める・・・

 広場から南に向かい、道すがら昼食を食べて、国立絵画館に行く。こちらは驚くほどガラガラである。しかし、宗教絵画やシエナ派絵画のコレクションは見ごたえ十分だ。

 そして、ようやくドゥオーモへ。フィレンツェのドゥオーモにも通じる白くて美しい外観に見とれてしまうが、ゴシック様式の内装も豪華で、白黒の高い柱が印象的である。期間限定公開の床面は残念ながら見られなかったが、金で彩られた壁・天井や巨大絵画にも圧倒される。さらに、ピッコローミニ家の図書室と呼ばれる部屋では言葉を失う。

 満腹感としか言いようのない状態でカンポ広場に戻る。プッブリコ宮の行列が短くなっていたので、入る。中は市立美術館になっていて、フレスコ画のコレクションが素晴らしい。塔(マンジャの塔)にも上ってみたかったが、この暑さに自信がなく、諦める。

 駅に戻るのは意外に難しいと感じたので、市街地にあるグラムシ広場のバスターミナルに行き、ここからフィレンツェ行きの快速バスに乗る。
 16時50分に発車。バスはシエナの各所に停車すると、ハイウェイに入る。濃い・薄い緑に覆われた小高い丘、そこに散在する建物、トスカーナの素敵な風景が広がる。フィレンツェの南西部でハイウェイを下りると再び各所で停車し、17時55分にSMN駅に到着する。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(3)

サン・ジミニャーノ(4)
4日目

Top of the World?

 よく晴れた朝だった。SMN駅の左隅にある4番線に、既にシエナ行きの列車が入線していた。
 9時11分に発車。まずはまっすぐ北上してフィレンツェ・リフレディに停車すると、フィレンツェ空港の手前で左に分岐して、ボローニャ方面に向かう線路と分かれる。ここからは進路を西に変え、アルノ川に沿って進む。
 早くも郊外に出てサン・ドンニーノ・バディアを通過すると、またも分岐点。いったん右に分岐すると、坂を上り、左の線路とアルノ川を一気にをまたいで南に向かう。ラストラ・ア・シーニャを通過すると、丘陵地帯を貫くまっすぐで長いトンネルに入る。
 トンネルを抜けたところで、先ほど分岐したはずの線路と合流し、再びアルノ川に沿って西に進む。おそらく、今合流したのがアルノ川に沿ってクネクネと進む旧線であり、私の乗る列車がまっすぐでスピードの出る新線なのであろう。列車は久々に駅に停車。9時32分、モンテルーポ・カプラーイアだ。
 次いで、9時41分にエンポリに停車。エンポリを出ると、またも線路は分岐する。列車は左に進んで南に進路を変える。ここを右に進めば、このままアルノ川に沿ってピサへと向かうことになる。
 列車は、アルノ川の支流・エルサ川に沿って進む。ひまわり畑や丘の上の街が車窓に現われては消える。この間、私はどこで下車すべきか思案していた。列車に乗った時、終点のシエナまで乗るつもりで切符も買っていた。ところが、シエナの大きな見どころの一つがこの日休みだということが判明したのだ。列車はカステルフィオレンティーノ、チェルタルドなどに停車して、10時16分、ポッジボンジに停車。
 私は決めた。そしてホームに降り立つ。

 駅前には予想通りバス停があった。だが、チケット売り場はない・・・。こういう時は経験に尋ねるのがいいようだ。駅舎内のカフェに行くと、案の定バスチケットを売っていた。
 10時20分、早くもバスが到着。バスはポッジボンジの街を抜けると、急勾配の坂道をぐんぐん登る。「どこに連れて行かれるのだろう?」バスの行先はわかっているはずなのに、そう不安になる。20分ほど経った時、丘の上に突如街が現れる。そして、バスは街を囲む城壁前のターミナルに停車。この街の名は、サン・ジミニャーノ。

 近づく者を拒絶するような城壁の端にあるサン・ジョヴァンニ門をくぐって中に入る。石畳の通りを挟んで整然と建物が建ち並ぶ。まるで城壁が時代の流れを堰き止めたかのようだ。最初はなだらかだった通りは、街の中心部に近づくにつれ、次第にきつい坂に変わる。そして、街の中心部・ドゥオーモ広場に到着。広場には多くの露店が出ていて、観光客がひしめき合う。

 ここから先は、下り坂になる。つまり、この街は丘の頂上にあるドゥオーモ広場を中心に成り立っているのだ。
 まずは、坂を下りて右手に進んだところにある考古学博物館に入ってみよう。この街ではかつて製薬業が盛んだったのだが、その薬を入れた壺(彩色された陶器)が多数展示してある。
 再び坂を上り、ドゥオーモ広場へ。ここにあるポポロ宮は美術館になっており、壁を覆う巨大なフレスコ画が素晴らしい。隣接する参事会教会(すなわちドゥオーモ)にも連作のフレスコ画がある。

 サン・ジミニャーノを特徴づけるのは、古い町並みだけではない。何と言っても、街の大きさに比べて塔が多いのだ。だから、どこで写真を撮っても塔が写る。現在は14あるということだが、かつては70以上もあったらしい。その中でもポポロ宮に隣接した大きな塔・Torre Grossaに登る。よくある螺旋階段ではなく、ちゃんと踊り場のある階段なので、フィレンツェでへたった私でも大丈夫だ。ただし、最後は梯子段となるため、下りてくる人を長い間待たねばならない。ようやく頂上に出ると、広がる景色に思わず息を呑む。建物が密集して島のように見えるサン・ジミニャーノの街、そしてその外に広がる大海原のようなトスカーナの緑の丘陵地帯。この街自体が高い丘の上にあるので、まるで人間世界と自然界(もちろん、かなり人の手が入ったものだが)を足下に一望しているかのような錯覚に陥る。

 すっかりお腹が空いて昼食へ。リーズナブルなレストランは観光客でごった返しているので、落ち着いた場所が好きな私は、少々高いが、人の少ないレストランに入る。ランチセットのラザニアとトスカーナ産のスパークリングワイン。

 それでもワインが飲み足りない気がして、この街にあるというワイン博物館を探す。だが、案内板がわかりづらく、いろいろ迷った末、町はずれにようやく発見。サン・ジミニャーノ特産のヴェルナッチャ(白)とトスカーナ産のキャンティ(赤)の飲み比べ。ヴェルナッチャは香りが甘く、キャンティは味わいが良い。
 すると、今度は何か食べたくなった。町中に戻って、トスカーナ名物のサラミが入ったサラミサンドを買って食べる。

 すっかり満足して門を出る。14時40分、バスで出発し、15時前にポッジボンジに到着。
 15時16分、エンポリ行きの普通列車に乗る。バルベリーノ・ヴァル・デルサチェルタルドカステルフィオレンティーノなどを通って、ピサからの線路と合流。15時54分、エンポリに到着
 エンポリでしばらく待つ。16時6分、ピサの南にあるリボルノ始発でSMN行きの列車に乗る。モンテルーポ・カプラーイアを出て旧線と分岐し、あの長いトンネルを出るとラストラ・ア・シーニャに停車。アルノ川を渡って再び旧線と合流。そしてフィレンツェ・リフレディの手前でボローニャからの線路と合流すると、16時34分にSMN駅に到着する。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(2)

ダビデ像
3日目

マエストロ

 この日は市街の東側に行ってみた。サンタンブロージョ教会、少し西側に入ってチョンピ市場のロッジア。そこを左に折れてしばらく行くと、ブオナロッティ邸という屋敷がある。若き日のミケランジェロが住んでいたそうで、今では美術館になっている。
 1階は古代ローマ(?)の発掘品などで、それほど珍しいものではないのだが、2階に上がって一番奥に行くと壁と天井が一面美しい絵画に覆われた部屋が3つ続いていて、心を奪われる。

 南に歩き、いったんサンタ・クローチェ教会の前を過ぎてグラツィエ橋を渡ったところにあるのが、バルディーニ美術館だ。バルディーニという豪商のコレクションが展示されている。やはりイタリア人はセンスが良いのか、この手の個人コレクションにハズレはない。ひときわ目立つ作品もない代わりに全体として調和が取れている。館内の内装もいい。

 この日は日曜日なので、サンタ・クローチェ教会は午後にならないと観光客向けにオープンしない。ゆっくりと昼食をとりながら時間をつぶす。15時過ぎ、ようやく教会へ。ドゥオーモのミニチュアのような入口を入ると、壁には巨大なステンドグラスと祭壇画が並んでいる。床にはフィレンツェゆかりの著名人の墓がずらりと並ぶ。教会の右側には僧院があり、その中庭の回廊はパッツィ家の礼拝堂や教会付属の美術館につながっている。これらの美術品も素晴らしい。

 いったんホテルに戻り、夕方再び出かける。SMN駅に行き、12/13番バスの乗り場を探すが、なかなか見つからない・・・。そうこうしているうちに、13番バスがやって来たので、それに乗る。バスはフィレンツェの市街の境界付近を走り、アルノ川を南に渡ると、川に面した丘を登り始める。終点は丘の上にあるミケランジェロ広場だ。
 この広場がなぜ「ミケランジェロ」なのか?ここに建つダビデ像のレプリカ以外に根拠があるのだろうか?それはともかくとして、ここから眺める夕暮れのフィレンツェ市街アルノ川の景色はなかなか芸術的だ。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)(1)

ヴェッキオ橋から
2日目

ロッソ

 フィレンツェの空は晴れ渡っていた。気持ちの上では「まだ見てないところがたくさんある」と思っていたが、いざ歩き始めてみると、「ここは見た」というところばかりで、気が付くとドゥオーモの北東にあるサンティッシマ・アンヌンティアータ広場(舌を噛みそうだ・・・)に来ていた。広場に面する捨て子養育院絵画館に入ろうと思ったが、建物をリニューアルするらしく、この時は閉館していた・・・。それで、隣接する考古学博物館に入る。
 まずは古代エトルリアの遺物コレクション。改装中で見られないものも多かったが、それでも数多くの青銅器や陶器などが展示されていて、ローマに継承されたと言われるエトルリア文明の水準の高さをうかがわせる。他には古代エジプト、ギリシャ、ローマと言った定番のコレクションがある。もともとあまり期待していなかったのだが、意外にコレクションが充実していて、とても良かった。

 午後は、前回行けなかったアカデミア美術館へ。やはり入口は長蛇の列であるが、私は事前に予約していたので、時間通りに入る。メインのコレクションは宗教画だ。素朴な祭壇画から、巨大絵画に至るまで、見どころ十分である。だが、一番の見どころは、フィレンツェが生んだ巨匠・ミケランジェロのダビデ像。像は巨大だが、人だかりができていて、遠巻きにしか見られない・・・

 夕方、ドゥオーモに行き、前回あえて避けた鐘楼に登る。クーポラと同様、鐘楼にも階段しかない。わざわざ夕方を選んだつもりであったが、それでも真夏の残暑は厳しく、登りつめたところで、文字通りへたってしまった・・・。無様にも石のベンチにしばらく横たわった後、ようやく立ち上がって眺めた景色は、クーポラからのものに勝るとも劣らない。クーポラ、そして市街地を埋め尽くす赤い屋根に夕日が注ぎ込み、より鮮やかな色が浮かびあがる。

 夜、ヴェッキオ橋を渡ってアルノ川の南岸に行く。夕日が最後の残照を、アルノ川の上に放つ。辺りがすっかり闇に包まれた頃、とある教会でコンサートが始まる。ソプラノとテノールの歌手が交互にその技を競い、最後は合唱。マイクなど使わなくとも辺りを振動させるその声量に、私の心も震える。

 アルノ川岸に並んだ光の列を見ながら北に向かう。昼間の暑さを避けていた人々は、ここぞとばかりに街に繰り出し、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は、夜会向けに化粧をし直したかのように、妖艶な姿で現れる。フィレンツェの夜がこうして更けていく。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第10弾(フィレンツェ→ローマ)

はじめに

 シルクロードの西の終点はローマだとよく言われる。確かに、絹の交易が始まった時代、西方世界の中心地はローマであったので、このような定義は間違ってはいないだろう。
 しかし、2004年に「シルクロード鉄道旅行」として北京を出発した当時の私は、終点をローマと決めていたわけではない。むしろ、漠然とヨーロッパを夢見ていたにすぎない。2010年に「ヨーロッパ横断鉄道旅行」を始めた頃から、次第に終点を意識するようになった。だが、それもローマよりは西になることは間違いない。
 それでも、北京を出発してから10年、しかもヨーロッパ横断鉄道旅行の第10弾にしてローマに至るということには、何か運命的なものを感じる。もちろん、イタリアと真夏の暑さは、そのような感傷に浸ることを容易に許してはくれないのだが・・・

旅の時期
2014年8月

目次

    2日目
  1. ロッソ


  2. 3日目
  3. マエストロ


  4. 4日目
  5. Top of the World?


  6. 5日目
  7. 宴の前


  8. 6日目
  9. フィレンツェ→アレッツォ

  10. アレッツォ→オルヴィエート

  11. オルヴィエート→ローマ


  12. 7日目
  13. 娯楽

  14. 政治

  15. 中心

  16. 神々


  17. 8日目
  18. 夜の天使


  19. 9日目
  20. 憩い


  21. 10日目
  22. また来られる?



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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第9弾(ヴェネツィア→フィレンツェ)(16)

メディチ・リッカルディ宮
12日目

ギャップ

 この旅行最後の朝を迎えた。SMN駅で荷物を預けると、まずサン・ロレンツォ聖堂の一角にあるメディチ家の礼拝堂に行く。サン・ロレンツォ聖堂はもともとメディチ家の菩提寺院であったが、後にトスカーナ大公となったメディチ家がここに礼拝堂を建てた。内部は黒っぽい大理石で覆われ、一見地味に見えるのだが、近づいて見れば見るほど、その装飾の豪華さに圧倒されてしまう。

 次いで、聖堂から目と鼻の先にあるメディチ・リッカルディ宮へ行く。ここは、フィレンツェが共和国であった時代にメディチ家の居所であった屋敷である。15世紀にコジモが実権を握った後も、フィレンツェは表向き共和国であり続け、メディチ家は「一市民」としての体裁を保っていた。この屋敷には、そうしたメディチ家の姿勢がよく表れている。地味な外観とは裏腹に、中に入ると巨大絵画に囲まれた部屋、金ぴかの集会室など、一般市民をはるかに凌駕する財力を見せつけられる。
 こうした外観と内装の「ギャップ」は、ドゥオーモなどを除けば、フィレンツェのあちこちに見られる、と私は思う。

 メディチ・リッカルディ宮からドゥオーモまでは、これまた目と鼻の先だ。前日は閉まっていた洗礼堂が開いていたので入る。八角形の天井には、金地にビザンチン風の絵画が描かれている。見上げながら、思わず息をのむ。

 ドゥオーモから北東に向かうとアカデミア美術館がある。だが、あまりの入場待ち行列に戦意喪失・・・。さらに進むとサン・マルコ教会がある。この教会自体にも多くの祭壇画があるのだが、これに隣接する修道院跡が美術館になっている。1階にはアンジェリコの『受胎告知』など優れたフレスコ画が展示され、かつての僧坊であった2階には、各部屋に壁画が描かれている。
 ここに来ると、浮世を離れた僧たちの精神生活を思わずにはいられない。だが面白いことに、この修道院がフィレンツェの中心であったことが一度だけある。15世紀末に修道院長となったサヴォナローラは、いったん追放されたメディチ家に代わってフィレンツェの実権を掌握したのである。
 しかし、あまりに「神聖な」政治をやり過ぎてしまったために人々の反感をかったサヴォナローラは処刑され、メディチ家は復帰する。復帰したメディチ家はもはや「一市民」に戻ることはなく、トスカーナ公・大公となってヴェッキオ宮やピッティ宮で暮らすようになった。

 サン・ロレンツォ聖堂の辺りまで戻って昼食。トスカーナ産の赤ワイン・キャンティに、ペペロンチーノとステーキだ。

 出発の時間が近づいてきたので、SMN駅前に移動し、目の前にある教会に行く。駅名の由来となったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だ。入口は何とも変わっていて、隣接するツーリストインフォメーションの内側奥にある。
 回廊のある庭園は、駅前の喧噪から壁一つ隔たっているだけなのが不思議なくらい静寂である。その一角にはも聳えている。回廊の脇に開かれた入口から教会内部に入ってみよう。
 中央にはが並び、壁は祭壇画ステンドグラスに満たされる。あまりに広いため、これらのアイテムが実際より小さく見えてしまう。
 ツーリストインフォメーションとは反対側の入口から外に出る。あれ?教会の本当の「正面」はこちらだったのだ。この、こじんまりした教会正面からは内部の巨大な空間や庭園のことは想像もつかない。

 SMN駅から道路一本隔てたバスターミナルから空港行きのバスに乗る。狭い道路をくねくね進み、15分ほどで空港に到着する。オンラインチェックインが進んでいるからか、カウンターに乗客は少ない。
 18時過ぎ、パリ行きの便で出発。トスカーナの平原、アペニン山脈を越えると、地中海が左手に見える。海面に映る夕日は、旅の終わりを私に告げていた。

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