ヨーロッパ横断鉄道旅行-第12弾(ピサ→ミラノ)(6)

ヴェルナッツァ
五村(その2)

 リオマッジョーレの船着場に戻り、モンテロッソ行きの船に乗る。本来11時35分発予定だが、混雑のせいで出発は12時前になる。
 船はすぐ北隣の村・マナローラに到着。切り立った崖が半円形の入江を囲んでいる。南側の崖の上には所狭しと住宅が並ぶ。とても心惹かれる村だが、スケジュールを考え、とりあえず素通りする。
 崖が海に迫る海岸をさらに北上する。マナローラの北隣にある村・コリニーリアは崖の上にあるので船着場はなく、通過。やがて、海に突き出た崖の上に円筒形の塔が現れる。船は崖の先に延びる堤防をぐるりと回ると、少し大きな入江に入って停泊する。12時15分。私もここで下船する

 港に面した教会の時計台が印象的なこの村の名はヴェルナッツァ。リオマッジョーレに比べて土地が開けている感じがするが、港から少しだけ坂を上がり、を過ぎると、すぐに狭い谷間となる。海岸の山腹を縫う列車は、このわずかな谷間に停車するのである。
 谷間を囲む両側の山に登っているうちに、あっという間に時間が過ぎる。次の船が出るので急いで港へ。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第12弾(ピサ→ミラノ)(5)

リオマッジョーレ
五村(その1)

 フェリーは真っ青な海原を白く裂いて進む。陸側を見ると、何と断崖の上に家々が寄り集まる小さな村が見える。海に極限まで近づきながら海までの道のりは非常に「遠い」、そんな村なのであろう。
 やがて景色は変わり、今度は海に「近い」村が現れる。そしてフェリーは大きく右旋回して、その村に近づいてゆく。

 岩場の先にフェリーは器用にも着岸した。狭い岩場をしばらく歩くと、現れた景色に思わず息を呑む。小型のボートくらいしか入れない小さな入江、そのわずかな入江も逃すまいとばかりにぐるりと周囲を取り囲む3~4階建ての家々。別に被写体にするために建てたものではないだろうが、結果としてとても絵になる景色になってしまった。

 断崖が海に迫り、平地の少ないリヴィエラ海岸南部に点在する五つの村。これらを総称して「チンクエテッレ」(五つの村)と言う。ここリオマッジョーレは、その最南端の村だ。入江から坂道を上っていくと、沿道には土産物を売る店やレストランが軒を連ねる。元は小さな漁村だったと言うが、今ではすっかり観光地化されている。
 坂道を上りきったところにトンネルがあるので入ってみる。には海をモチーフにしたタイル壁画が描かれている。

 トンネルを抜けたところは、何とだ。三方を山に囲まれたリオマッジョーレ駅は、線路の走る二方がトンネル、海の反対側には城壁のような高い壁が聳え、そこにも壁画が描かれている。
 シーズン中には1日に何便も着岸するフェリーの乗客に加え、ラ・スペツィアからわずか1駅の距離にあるこの駅にも、大勢の観光客が押し寄せる。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第12弾(ピサ→ミラノ)(4)

ポルト・ヴェネーレ
3日目

女神
 ラ・スペツィアの港には朝の強い日差しが降り注ぐ。プロムナードのソテツの並木が南国風情を醸し出す。

 フェリーの切符を買って乗り込む。朝1番の便なのに(だから?)早くも混雑していて、10分遅れの9時25分に出港する。船はラ・スペツィアの港内をゆっくり離れ、半島の先端に向かって南東に進む。

 やがて、半島の先端部、パルマリア島との間の狭い海峡に船が入ると、その先に街が見える。その街の姿は次第に大きくなり、ついには全貌を現す。
 丘の上の城塞、その真下には塔のある教会、さらにその下にはカラフルな家々が港まで広がっている。これが「女神の港」という意味を持つポルト・ヴェネーレの街である。船は、ちょうど10時に投錨。私は下船したくてたまらなくなったが、何とかこらえる。船は数分後に出港。

 もともと狭い海峡が、ますます狭くなる。半島側の岸辺は岩で覆われているが、それと同化するように壁が聳え立ち、その上に何かが建っている。教会だ。この教会(サン・ピエトロ教会)は、ちょうどラ・スペツィア湾とリグリア海を画する岬の上にある。だから船が教会の前で大きく右カーブすると、途端に揺れが大きくなる。外海(リグリア海)に出たのだ。

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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第12弾(ピサ→ミラノ)(3)

ラ・スペツィア港
玄関

 駅前の通りを左に向かうと、道は緩やかな下り坂になって港に向かっている。私の泊まるホテルは、この通り沿いにあるはずなのだが、それらしき看板もない。ようやく指定された住所に着くと、そこは普通のアパート。こういう経験はヨーロッパではもう何度かしていたので、迷わずベルを押す。
 中へ入ると、そこにはフロント氏が待っていた。意外だったのは、ロビーはあるが、フロントデスクがないことだ。全ての客室がロビーと接している。つまり、その程度しか部屋がないのだ。あらかじめ時間を決めて待ち合わせねばならなかったのはこういう事情によるのだとようやく得心した。

 夕方、出かける。ラ・スペツィアは海と山に囲まれた町で起伏が多い。そしてこれは、ここから北に続くリヴィエラ海岸の特徴であるとも言える。ラ・スペツィアはリヴィエラの玄関なのである。

 まずは町の真ん中にある丘に登ってみよう。途中の道にはおしゃれなマンションが立ち並ぶ。別荘として所有している人も多いのであろう。丘の頂上には、サン・ジョルジョ城が建っている。現在では考古学博物館らしいのだが、来るのが遅かったため既に閉まっていた。
 丘からは、ラ・スペツィアの港と、この町を囲む山々を眺めることができる。
 面白いのは、この丘へ通じる「エレベーター」がいくつもあることだ。「エレベーター」の箱や乗り降りの仕様は、まさにエレベーターそのものなのだが、その経路を見る限り、これはミニケーブルカーである。

 丘から下りて、今度は港へ行こう。海岸でのバカンスシーズンは始まったばかりだが、もう大勢の人出がある。見た目も美しい開閉式の桟橋から眺めると、港に係留されている無数のクルーザーが見える。人も船も、海へ出ようとうずうずしている。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第12弾(ピサ→ミラノ)(2)

ミラノ行きIC(ピサ駅)
ピサ→ラ・スペツィア

 13時40分、ミラノ行きのICが到着する。コンパートメントではない通常の座席だ。13時43分に発車。
 西向きの線路は、すぐに南北に大きく分岐する。左側すなわち南に折れれば、ガリレオ空港の西側を通って、前回の旅の経路すなわちリヴォルノ、さらにはローマに通じる路線。右側すなわち北に折れれば、ラ・スペツィア、そしてジェノヴァへと向かう路線だ。列車はゆっくりと右にカーブしてアルノ川を渡る。
 斜塔のあるドゥオーモ広場を左手に見ながら、線路はさらに分岐する。右に向かえば、ルッカへの路線だ。列車は左に向かい、サン・ロゾーレ、さらにたくさんの貨車が並ぶ広い操車場を通過する。

 風景は早くも都市から広大な畑や森に変わる。そしていつの間にか海に近づいていた。14時ちょうど、ヴィアレッジョに停車。いかにも港町らしい景色だ。

 列車は再び内陸に向かう。右手に雲のかかる大きな山地が近づいてくる。ピエトラサンタやクエルチェタを通過して、14時17分にマッサに停車。ピサを先行して出発していた普通列車にここで追いつく。

 マッサを発車後、すぐに大きな工場が現れ、線路脇には貨物駅らしいホームが並ぶ。書かれている駅名は、ずばり"Zona Industriale"(工業団地)である。
 列車はサルザナを通過すると、マグラ川を渡る。山の上に街が広がるのが見える。しばらく北西方向にマグラ川を遡って進むが、やがて大きく左に分岐してトンネルに入る。ちなみにここを右に分岐すると、さらにマグラ川を遡り、アペニン山脈を越えてパルマへと至る路線となる。乗ることを想像するだけで楽しいが、以前経験したように鉄道が運休していないことを祈るのみである。
 さて、列車はトンネルを抜けると今度は南西に大きく向きを変える。この辺りはかなり複雑な地形のようだ。トンネルも断続する。そして、14時39分、列車はラ・スペツィア中央駅に停車。私は、ここで下車する。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第12弾(ピサ→ミラノ)(1)

アルノ川
1日目・2日目

散歩
<1日目>
 やっぱりグダグダだ。ここはローマのフィウミチーノ空港。ピサ行きの便のゲートがオープンしたものの、行列は一向に進まない・・・。そしてようやくバスに乗り込んだと思ったら、全く発車する気配がない・・・。唯一安心なのは、このバスに機長が乗っていることで、これなら少なくとも飛行機に置き去りにされることはないであろう(笑)。
 だが、意外にも飛行機は定刻よりわずか10分遅れの21時45分に出発する。成田からローマまでのフライトの疲れがたまっていたのか、すぐに眠りこけてしまう。そして、到着もきっちり10分遅れの22時45分。着陸して、ようやく太平の眠りを覚ます。
 到着したのは、その名もガリレオ・ガリレイ空港。確かにピサと言えば、この人くらいしか思いつかない。アルノ川の南岸で、ピサ駅よりさらに南にあり、市バスLAMの発着点になっている。だが、この時間には既に運行が終了しており、市内へのアクセス手段はタクシーしかない。
 ヨーロッパでタクシーに乗るのは、実はこれが初めてだ。深夜だからか、メーターがぐんぐん上がる・・・。結局通常料金の2倍になったわけだが、端数は値切ってくれた。こういう「適当さ」は非常にありがたい(笑)。

<2日目>
 ピサの駅前から市バスLAM Rossoに乗り、ドゥオーモ広場へ。ピサを代表する観光名所だが、前回の旅で訪れた場所だから、今回は長居しない。ここから南東に歩いて、カヴァリエ―リ広場を通って、アルノ川の岸に出る。ピサはアルノ川の水運と海運を結び付けた貿易で繁栄した町であるから、ここにはその繁栄を偲ばせる古くからの街並みが残っている。
 川沿いに東に進もう。まずはサン・マッテオ美術館に入る。ここは元々修道院で、ゆえに聖母子像を中心とする宗教絵画のコレクションが優れている。
 ここから川は急に南へカーブする。そのカーブの地を占めているのが、サン・ガッロ要塞で、今では公園になっている。
 ここで踵を返して北に戻り、メッツォ橋まで行く。この橋の辺りは特に眺めが良く、橋のたもとにはロッジもあって、今でも市場が開かれている。橋から伸びる通りのポルティコも、また風情がある。

 歩き疲れたのでバスに乗り、へと向かう。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第12弾(ピサ→ミラノ)

はじめに

 「リヴィエラ」と聞いて「冬」を想起してしまうのは、おそらく20世紀の終盤に生きた日本人だけであろう。なぜなら、リヴィエラ海岸のオンシーズンは、世界中の多くの海岸リゾートと同様に春から夏にかけてだからである。
 今回の旅の中心は、このリヴィエラの東半分、ラ・スペツィアからジェノヴァである。もちろん、季節はオンシーズンの5月だ。この東リヴィエラの美しさは、半分は自然が作り出しているのだが、もう半分は人の営みが作り出している。それがどういうことなのかは、いずれおわかりいただけると思う。

旅の時期
2015年5月

目次

    1・2日目
  1. 散歩

  2. ピサ→ラ・スペツィア

  3. 玄関


  4. 3日目
  5. 女神

  6. 五村(その1)

  7. 五村(その2)

  8. 五村(その3)

  9. 折返

  10. 五村(その2 もう一度)

  11. 五村(その4)


  12. 4日目
  13. ラ・スペツィア→ジェノヴァ

  14. 熱那


  15. 5日目
  16. 隠棲


  17. 6日目
  18. 紅白

  19. ジェノヴァ→ミラノ


  20. 7日目
  21. 万博



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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第11弾(ローマ→ナポリ・ピサ)(9)

サン・ピエトロ広場

6日目~8日目
初詣・御節

<6日目>
 2015年となった元日の朝、ローマはよく晴れていた。日本人ならばこんな日には初詣に行くだろう。そしてローマの人々も同じようなことを考えていたようだ。
 地下鉄A線のオッタヴィアーノで下車して南に歩き、リソルジメント広場へ。ここから右に折れると前回の旅で訪れたヴァチカン博物館なのだが、今回はあえてさらに南に進むと、大きな広場が現れる。サン・ピエトロ広場だ。既に大勢の人々が集まっている。
 彼らの視線は、広場の一角に設置された大型モニターに集まっている。そこに写し出されたのは、広場の目の前にあるサン・ピエトロ寺院で行われているローマ法王による新年のミサだ。寺院の中へは一般の人々は入れないから、皆モニターで見ているのである。

 夜、共和国広場近くにある教会でコンサートを聴く。ミニオーケストラと男女4人の歌手が登場して、オペラの名曲などを披露する。オペラ座のスタッフによる片手間仕事のような間延び感はあるものの(怒って途中退席した人もいた・・・)、新年から生の音楽を楽しめるのは素直にうれしい。

<7日目>
 ついにローマを去る日が来た。テルミニ駅からレオナルドエクスプレスに乗り、フィウミチーノ空港へ。全てが順調に進み、出発ゲートへ。すると、ゲートでは何やらパーティの準備中。何が始まるのかと思いきや、何とローマ―香港便にボーイングB777が導入され、今日がそのデビューだと言うのである。搭乗直前にパーティが始まり、乗客全員にシャンパンやケーキが振舞われ、B777の模型がプレゼントされる。
 お祝いはそれだけではなかった。飛行機が滑走路に向かう途中、補助路の脇に2台の消防車が現れる。「事故?」と思ったのも束の間、消防車が飛行機にいきなり放水!世の中にはこういう「シャンパンかけ」もあるのだ。

<8日目>
 朝、飛行機は香港に到着し、その処女フライトを無事に終える。成田へのフライトへは少し余裕があったので、往きと同様、また中華料理を食べに行く。今日はこの小籠包が御節の代わりである。

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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第11弾(ローマ→ナポリ・ピサ)(8)

サレルノ行きIC511(ピサ駅)
ピサ→ローマ

 14時59分、南伊・サレルノ行きのIC511が5分遅れでピサに到着する。1等車は既に満席なので2等車に乗る。2等車も6人乗りのコンパートメントで、何とか座席は確保できたものの、ここも満席気味で廊下にも人が溢れている・・・。列車は15時2分に出発する。

 15時17分、リヴォルノに停車。ここから海岸沿いに走る。往きにも見たはずだが、改めて海岸を眺めると、小さな塔がたくさん建っているのに気づく。もしかすると、かつて海を越えてきたサラセンの海賊の襲撃に備えてイタリアの海沿いの村々に建てられたという「サラセンの塔」なのかもしれない。

 列車は、往きに停車したロジニャーノやチェチナを通過して、代わりに往きに通過したカンピーリア・マリッティマやフォッローニカに停車する。16時25分、グロッセートに停車。冬の太陽は、早くも海中に没しようとしている

 沈んだ太陽に代わって、沿岸の工場群が輝き始める。狙ったものなのかどうかわからないが、こうして見るとなかなか美しくライトアップされているのである。
 17時15分、チヴィタヴェッキアに停車。さらに大勢の乗客が乗ってきて、廊下も満杯だ・・・。列車は海と別れを告げて内陸に入り、アウレリアを通ってローマへ。ヴァチカンの南をかすめてテヴェレ川を渡ると、オスティエンセに停車。17時52分。オスティエンセからはぐるっと大きく左にカーブして、テルミニ駅に停車。18時5分。
 私はここで下車するが、この列車はここで進行方向を変えて、これからサレルノまでの長い旅路に出るのだ。

続く
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ヨーロッパ横断鉄道旅行-第11弾(ローマ→ナポリ・ピサ)(7)

斜塔
斜塔

 ピサの駅前からバスに乗る。他の町と同様、バスに関するインフォメーションは極めて少なくてわかりにくいのだが、ガイドブックに書いてある通りに切符の自販機やバス停があるので助かった。LAMという路線バスのROSSA(赤)という路線に乗る。バスは通りを北上してアルノ川を渡ると、まもなく小さな城壁が見えてくる。城壁の前のマニン広場で下車する。

 城壁の小さな門をくぐると、そこには別世界が広がる。ドゥオーモを中心に、洗礼堂、カンポサント(納骨堂)、そしてあの斜塔が並び建っている。いずれも真っ白な大理石で覆われていて、ここが聖域であることを示しているかのようだ。

 斜塔以外の建物への入場は共通券になっていて、広場内の切符売り場で購入する。まずは広場の中心・ドゥオーモへ。中に入ると左右に円柱がずらりと並んでいる。奥の祭壇の天井には、東方のイコンを思わせるようなキリストの壁画がある。ヴェネツィアもそうであったが、同じく海上貿易で栄えたピサも東方からの影響を強く受けたのであろう。説教壇の装飾も素晴らしい。

 カンポサントへ。もともと納骨堂なのだが、壁画やフレスコ画などのギャラリーのようになっている。『死の凱旋』というフレスコ画がなかなか良かった。

 洗礼堂へ。小さな建物であるが、建物を円形に囲む柱や、六角形で統一された説教壇などの諸設備など、その形式的な美しさが自ずと伝わってくる思いがする。
 だが、この建物の魅力はそれだけではない。ちょうど13時になった時、それまで出入口で入場客のチェックをしていた人が急に建物の中央に歩いてきたかと思うと、天井に向かって祈祷文?を唱えだす。まるで仏教の声明のようで、実にいい声だ。そして驚くほどよく響く。音響効果まで計算された建物であったのだ。
 洗礼堂を出て、ふと振り返る。や、この建物も傾いてはいないか?

 そしていよいよ斜塔である。ここだけは事前の予約が必要で、入場時間も厳密に決められている。中に入ると、屋上までまっすぐに(正確には斜めにまっすぐに)穴が開いているのが見える。屋上へは階段で上がる。この階段も傾いている(正確には、同じ段の水平面が傾いている、と言うべきか)。
 この斜塔は、もともとドゥオーモの鐘楼であった。これらドゥオーモとその付属施設は、ピサがイタリアの4大海洋国家の一つとして繁栄していた時代(11世紀・12世紀)に建てられたものだ。しかし、その後アルノ川の流路が変わったりしたことでピサの繁栄も衰え、ついにはフィレンツェに併合される。そして港湾都市としての役割もリヴォルノに奪われる。そうした歴史を反映したわけではないだろうが、鐘楼も次第に傾き、いつしか「ピサの斜塔」として世に知られるようになったのだ。だが、少々傾き過ぎたらしく、これ以上の傾斜を防ぐ工事が近年行われたようだ。なかなか大変である。
 階段を上ると屋上に出る。ここからはドゥオーモの壮観だけでなく、ピサ市街から遠くの山々まで眺めることができる。

 帰りも往きと同じくROSSAバスに乗る。アルノ川を渡った時、川沿いの街並みがなかなか美しいことに気が付いた。いずれゆっくり歩いてみたいものだ。そう思っているうちに、早くもバスは駅に着いてしまう。

続く
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