ヨーロッパ横断鉄道旅行-第3弾(ブダペスト→ウィーン)(9)

ミハエル門から(1)
5日目

ウィーン→ブラチスラヴァ

 この日は、前日に行けなかったブラチスラヴァ市街に遊びに行くことにした。前日と同じルートを逆に進む。地下鉄に乗り、マイドリング駅からウィーン南駅に向かい、ブラチスラヴァ行きの列車に乗る。車内には大きな犬を連れた人も乗ってくる。ここでは犬用の切符も売られているのだ。犬はよくしつけられているのか、全く吠えることはないし、口に轡のようなものをはめられていることもある。
 列車は9時20分に発車する。朝日を受けて輝くドナウ川を越え、やがてウィーンの郊外に出る。私は、自分の買った切符の内容が気になっていた。ブラチスラヴァまでの片道切符を買ったつもりなのに、前日に買ったブラチスラヴァ→ウィーン(片道)の切符(11ユーロ)よりも高かった(14ユーロ)からだ。だが、切符と一緒に渡されたパンフレットをよく読むと、この切符はウィーン-ブラチスラヴァの往復切符であるのみならず、ブラチスラヴァのバスやトラムが乗り放題になるという何ともお得な切符だったのだ。
 私が大喜びしている間に、列車は花畑などの田園風景の中を疾駆して、国境のマルヒェックを通ってスロヴァキアに入る。そして10時36分、終点のブラチスラヴァ中央駅に到着する。

 駅に隣接した広いトラム乗り場から13番のトラムに乗って市街地を南下する。そして、時計のついた高い塔が見えてきたところで下車。大きな通りを渡ると、周囲の現代的都市の風景とは一変して、古い町並みが姿を現す。そして、あの高い塔・ミハエル門をくぐると、そこにはブラチスラヴァの旧市街・18世紀の町が広がる。
 まず、今では武器博物館となったミハエル門に登ってみよう。塔からは旧市街を一望することができる。通りに沿って赤い屋根の建物がきれいに並んでおり、街の向こうの丘にはブラチスラヴァ城が聳えている
 次いで、種々の様式の建物に囲まれた通りをぶらついてみる。通りのあちこちで、青いユニフォームを着た一群の人々を見かける。どうやらスロヴァキアのナショナルチームのものらしいが、何のスポーツなのかさえ、この時にはさっぱりわからなかった。

 旧市街の西端から、ドナウに架かるノヴィ橋につながる幹線道路の下をくぐる。道路の反対側は丘になっていて、丘の上に続く坂道を上ってゆくと、立派な門が現れる。ここがブラチスラヴァ城の入口だ。ここからさらに坂道を上ると、城の建物が姿を現す。四角い建物の四隅にが建っている。どこにでもありそうだが、このタイプの城は意外に珍しいらしい。
 それにしても人気が少ない。建物の周りの、ドナウ川を一望できる辺りには大勢の観光客がいるのだが。その時、建物の奥の方から音がしてこちらに近づいてくる。現れたのは、馬に乗った騎士、ではなくてブルドーザーだった(笑)。博物館になっていたはずの城の建物は、2011年現在では改装中のようだ。
 城を散策している間に、もともと曇っていた空の雲行きがさらに怪しくなり、とうとう雨が降り出した・・・。

 ちょうど昼時だったので急いで旧市街に戻り、レストランに入る。カルボナーラを注文すると、出てきたのはマカロニのカルボナーラだったのでちょっとびっくりするが、意外においしい。

 雨がなかなか降り止まないので、諦めて外に出る。路面はすっかり濡れているが、それがかえっていい雰囲気を出している。雨と共に気温もぐんと下がったので、外を歩き続けるのはつらい。その時、目の前に現れたのは旧ブラチスラヴァ市庁舎の建物だった。今ではブラチスラヴァ市の歴史博物館になっている。ゴシックとバロックの2つの様式から構成される建物自体が貴重であるし、それぞれの部屋にも由緒がある。
 ブラチスラヴァは、その位置のせいか、複雑な歴史をたどった町である。この町は長らくハンガリーの領土であり、16世紀から18世紀の間はハンガリーの首都でもあったのだ。それと同時に、ハンガリーを支配したオーストリア・ハプスブルク家にとっても重要な町であり、女帝マリア・テレジアはブラチスラヴァ城を居城にしていた。
 第一次大戦後、この町は新しく誕生したチェコ・スロヴァキアの領土になる。この時、オーストリアではプレスブルク、ハンガリーではポジョニと呼ばれていた町の名前が「ブラチスラヴァ」に変わった。そして、1993年にチェコと分離したスロヴァキアの首都となるのである。

 そんな町の歴史と重厚な建物の重みにすっかり感じ入ったところで外に出ると、もう雨は止んでいた。旧市庁舎の前のフラヴネー広場では、やはり青いユニフォームを着た人々が何かのイベント会場の設営をしている。それを横目で見ながら、聖マルティン教会に行く。ゴシックとバロックに覆われた旧市街の建物の中でもさらに古いロマネスク様式の教会で、高い塔では修復工事が行われていた。内部は、高い天井に向かっていくつもの柱が並び立ち、厳かな雰囲気に満ちている。ここでは、16世紀から19世紀までハンガリー王の戴冠式が行われていたのである。

 これで主な見どころを全て見た気がするので、そろそろウィーンに戻ることにしよう。

続く
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