ヨーロッパ横断鉄道旅行-第1弾(イスタンブール→アテネ)(7)

メズス→ドラマ(3)
ピシオ→ドラマ

 列車が動き出した拍子に目が覚めたようだ。夜は既に明けていた。人家が建ち並ぶ車窓の奥には、港に停泊する船と、そしてわずかばかりの海が見える。時刻は6時。おそらく今ちょうどギリシャ北東部の港町・アレクサンドゥルポリを出発したのだろう。
 ピシオを出てからここまで、1時間30分ほどしか眠っていない。だが、夜が明けてしまった以上、まともに眠ってなどいられないのが乗り鉄の悲しい性である。

 国境の町・ピシオから南西方向へと走ってきた列車は、アレクサンドゥルポリで大きく向きを変える。そう言えば、さっきから車輪とレールがこすれる音がずっとしている。大きなカーブを曲がっているようだ。北へと向きを変えた列車は、しばらくの間は平野を走るが、やがて北西に向きを変えて山間部に入る。この辺りの山々は、生い茂った木々の間から白い岩を露出させている。トンネルに入る。トンネル内には照明がなく、コンパートメントも消灯していたので、私の周囲は真っ暗になる。それだけではない。ディーゼル車特有の煤煙の臭いが少したちこめてきたのだ。イスタンブール出発時には電気機関車に牽引されていたはずだが、少なくともアレクサンドゥルポリを出発した時点でディーゼル機関車に交代していたのである。(おそらくトルコ国境からではないか?)
 6時16分、キプクという小さな駅に停車する。キプクを出ると、地形はやや開けてくる。6時38分、メズスに停車する。こちらも小さな駅だ。対向列車を待ち合わせた後、6時48分に発車する。メズスを出ると、さらに平坦な大地が広がる。トルコ国境からこの辺りにかけては、ギリシャ国内ではトラキア地方と呼ばれている。もっとも、トラキアは本来トルコのヨーロッパ側とブルガリアの南東部も含めた地名である。ここは古代から馬の生産が盛んで、住民達は騎兵としてマケドニアやローマの軍隊で活躍した。ローマで剣闘士になり、その後反乱を起こしたスパルタクスや、3世紀のローマの軍人皇帝の一人であるマクシミヌス・トラクスは、トラキア出身と言われている。イスタンブールを出発して以降、この列車は広い意味のトラキア地方を東西に横断しているのだ。
 そうこうしているうちに列車は大きな町を掠めて過ぎ去って行く。地図を見ると、コモティニ、クサンティという2つの大きな町を列車は通過していた。

 しばらくすると、川の両岸に白い岩肌を露出させた山々が聳える峡谷に差し掛かる。この川こそ、トラキア地方とマケドニア地方を分かつネストス川であろう。列車は蛇行する川に沿って進む。トンネルも数多く通過する。もちろん、通過するたびにコンパートメントは真っ暗になる。やがて列車はネストス川を渡り、峡谷を抜ける。いよいよマケドニア地方に入ったのだ。このマケドニアという地方名も複雑で、現在列車が走っているギリシャ領のマケドニア地方のみならず、マケドニア共和国(旧ユーゴ)とブルガリアの南西部にまたがっているのだ。
 窓の外には、アレクサンドロス大王の時代から変わっていない?のどかな平原の景色が広がり、遠くには高い山々も見える。やがて、マケドニア地方東部の都市・ドラマに列車は停車する。8時52分。

続く
目次へ

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック