甲信縦断鉄道旅行(18)

麻釜
4日目

そして旅はあっけなく・・・

 9時過ぎ、ホテルを出て温泉街の散策に向かう。
 まずは、おぼろ月夜の館・斑山文庫だ。ここは前回の記事でも紹介した高野辰之の資料館である。彼は、その晩年を野沢温泉で過ごしたので、その記念に建てられたようだ。建物前の公園には、色とりどりのあじさいが咲き乱れていて、高原の朝の清々しい空気を彩っている。
 その後、温泉街をぶらぶら歩き回る。通常は1本の通りを中心に温泉宿が並んでいることが多いのだが、ここでは村全体が温泉街のようになっている。一般の住宅・お寺神社・旅館・温泉の源泉共同浴場などが、一体となって寄り集まっている感じがする。

 10時を過ぎてしばらく経った後だったと思う。小川のほとりに佇んでいると、突然「パーン」という大きな音が辺りに鳴り響いた。驚いて辺りを見渡す。だが、温泉街はまるで何事も無かったかのように、静まり返っていた。

 またしばらく歩いた後、野沢温泉のバス停に行く。バス停前の待合室で、「さっき大きな地震があったねえ」と声を掛けられた。地震?驚いて携帯電話を取り出し、インターネットを見ると、10時13分に新潟県を中心に大きな地震が発生した、と書いてあるではないか。思い返してみると、先程の大音響は地震による建物の軋みだったのだろうか?それとも大地の発した音だったのだろうか?後に「新潟県中越沖地震」と呼ばれることになるこの地震の全貌など、この時には知る由もなかった。

 飯山線は動いているのだろうか?不安が次第に大きくなってくる。だが、戸狩野沢温泉駅行きのバスは、定刻通り10時45分にやって来た。バスの車窓から見える景色に異常は見られない。
 しかしバスが駅に近づくと、様子は一変する。道路脇の民家の塀が大きく崩れていたのだ・・・。車内に驚きの声と溜息が広がる。11時、定刻通りにバスは、戸狩野沢温泉駅に到着した。ホームには列車が1本停車しているのが見える。
 不安は的中した。飯山線は全て運休していたのだ。駅員さんが慌しく動きながら、次々にやって来る乗客に運休の説明を繰り返している。このような交通の便の良くない所でジタバタしても始まらない。とりあえず、何らかの動きがあるまで待つことにした。
 しばらくして、長野行きの代行バスが手配された。バスに乗るべきか?だが、今回の旅の目標は、飯山線に乗って越後川口まで行くことである。もう少し待ってみよう。そしてまもなくバスは出発した。
 長野行きの代行バスが再び手配された。一方で越後川口方面へは、列車の動く見込みもなく、代行バスすら手配できない状況だ。ようやく私は長野行きのバスに乗る決心をした。それは、この旅を途中で打ち切ることを意味する。

 12時、長野行きの代行バスが発車する。心の中は、このまま無事に帰宅できるのかという不安よりも、旅を打ち切ったことへの無念さでいっぱいだ。
 バスは千曲川沿いの国道を走り、時々道をそれては飯山線の各駅に立ち寄る。飯山からはJRの職員さんが乗り込む。各駅には別の職員さんが先遣されていて、乗客の有無が無線で報告される。乗客がいなければ、その駅はスキップされる。
 道路上には何の混乱もなく、沿道の建物にも外見上何の変化も見出せない。だが、「棚から物が落ちて大変だった」という乗客同士の会話を聞いていると、やはり大きな地震であることがわかる。
 こうしてバスは、13時40分過ぎに長野に到着する。

 長野新幹線の指定席は、案の定満席だった。仕方なく自由席の切符を買い、ホームに向かう。停車していた「あさま」574号に乗る。座席はかろうじて空いていた。
 列車は14時10分に発車する。駅に着く度に大勢の乗客が乗り込み、列車は混雑の度を増す。この日は連休の最終日であり、さらに地震による混乱が、混雑に拍車をかけたらしい。
 大宮の手前から列車は遅れ始め、何度も停車する。だが、ここまで何の遅れもなかったこと自体が幸運なのかもしれない。そして定刻に15分ほど遅れて、列車は16時過ぎに上野に到着する。この先も遅延が予想されたので、ここで下車する。
 ホームに降り立った時、旅を終えた感慨も、それを中途で打ち切った無念さも消えていた。ただ、ほっとした気分でいっぱいだった。

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